王道路線への回帰―『007 スペクター』

前作『007 スカイフォール』に続く、サム・メンデス監督作品。

(以下、『スカイフォール』のネタバレを含む)

原点回帰

過去数十年にわたって『007』を捕らえてきた「お約束」を、サム・メンデス監督は『007 スカイフォール』で徹底的に打ち壊した。その象徴が、ジュディ・デンチ演じるMの死であり、「ボンドカー」のアストンマーチンDB5の大破である。

今回の『007 スペクター』は、その「焦土」からの再生の物語となるかのように思えたが、そんな風に一筋縄でいかないのがサム・メンデス

前作の最後で描かれた通り、新しいMに『ハリー・ポッター』シリーズのボスキャラとしても有名なレイフ・ファインズを迎え、ボンドカーとして最新鋭のアストンマーティンDB10が用意された。

また、研究開発担当のQは、最新鋭のハイテク武器に加えて、シリーズのお約束であるオメガ・シーマスターにもある秘密兵器を仕込んでいる。

さて、お膳立ては整った、といったところ。

忘れてはいけないのはボンド・ガールで、劇中のどの女性を「ボンドガール」と呼ぶのか物議をかもすこともなくはないが、今回はモニカ・ベルッチとレア・セドゥの二人ということになるのだろう。いずれも「セクシー」と呼ぶべき女優だと思うが、モニカの方が濃厚な色香を発する20世紀的な雰囲気なのに対して、レアの方は、媚びない自立した強い女性ということで21世紀的なヒロインになっていて好対照を成している。

ロケ地は、冒頭のメキシコのエキゾチックな祭りに始まり、ロンドンの風景を挟みつつ、舞台をイタリア(ローマ市街)、オーストラリア(雪山)、タンジールなどへと移していく。

こういう「プチ世界旅行」的な風景を見せてくれるのも、『007』シリーズの伝統に即したもの。今回、アジアが出てこなかったけれども、前作であれだけ軍艦島がフィーチャーされたから、バランスを取った面もあるかもしれない。

ストーりーはかなり大味

ということで、『007』シリーズの伝統やお約束がこれでもかというくらいに登場する作品になっているが、個人的には、ストーリーがやや大味であるという印象は否めなかった。

ハイテクとローテクが奇妙なバランスで同居しているところとか、計算ずくの駆け引きの一方で偶然への依存が大きくてご都合主義に見えてしまう展開とか。

豪華寝台特急や、水上でのクルーザーの登場は、名作『007 ロシアより愛をこめて』へのオマージュを思わせたけれども、列車の中で大立ち回りを演じたら「敵を倒してめでたしめでたし」にはならないよねと感じて、何となく座りの悪さを感じっぱなしだった。また、敵の元から逃げるような場面では、なぜそこに都合よくその乗り物があるのか、とか、まあそこまで考えちゃいけないのかな。

恐らくは、そういう大味で、ご都合主義的で、どこか牧歌的なシナリオでさえも、『007』シリーズのテイストとしてサム・メンデスが意図的に取り込んだのかもしれない。

今回登場した「C」を演じているのが、アンドリュー・スコットなんだけど、この人はBBCの人気シリーズの『シャーロック』で、カンバーバッチ演じるシャーロックの仇敵であるモリアーティを演じた俳優。もうこのキャスティングだけで、出落ち感というか、「あ、こいつ小悪党だよな」というのが誰にでも分かるレベル。


ということで、「難しいことは考えずに、かっこいいスパイと、わくわくする装備と、いい女と、外国のエキゾチックな風景を楽しんで下さい。え? プロット? 細けえこたあいいんだよ!」という漢気を感じる作品と割り切るべきかもしれない。まあ、分かりやすい伏線が貼られて、予想通りに回収されていくのは、映画を楽しむ上でマイナスにはならないわけだから。


ただ、ストーリー展開がご都合主義的なのは許すにしても、ボンドの究極の目的がよく分からないままに「巻き込まれ型」で物語が展開していくのは、あまりボンドっぽくない気もする。また、そこに「親族の因縁」とか「組織乗っ取り」みたいな今はやりのフレーバーが加わるのだけれど、どっちかと言えば、そんなものがなくてもいいような気がした。

でも、まあ、最後の最後にボンドらしい主体的な選択が見られるわけで、やっぱりそこを見ちゃうと、ボンドはセクシーだと思えるけれどね。でも、ちょっと甘味かな。

以上の通りで、大衆娯楽路線への回帰としては目的を達していて、点数を付けるとすれば「75点」かな。