音楽は良かった~『悪は存在しない』(2024年、日本、濱口竜介監督)

『ドライブ・マイ・カー』でアカデミー賞を受賞し、本作『悪は存在しない』で銀獅子賞を受賞。

いまや濱口竜介監督の作品の国際的評価の高さは決定的となり、「評価すれば映画通」「評価できなければ映画音痴」みたいなリトマス試験紙的存在になってしまっている。

本作は都内では渋谷と下北沢のミニシアター2館のみで公開され、そのことを嘆く声すらあったが果たして。

大型連休の最終日に渋谷に足を運び、満席の劇場で観た感想としては「自分には合わない」だった。

これは『ドライブ・マイ・カー』のときも同じ。

良いか悪いかではなく、好きか嫌いかでいえば「好きではない」。

合うか合わないかでいえば「合わない」。

そんな作品だった。

まず、海外受けもしそうな『悪は存在しない』というタイトル。

善悪相対論みたいな話かと思いきや、劇中に俗悪に描かれる人物が複数登場する。

また、エンディングも非常に後味の悪い悲劇的なものであるが、その結末とこのタイトルがどう整合するのか分からない。

この「分からない」ということで、「観る人に考えさせる」ことを誘っているという受け止め方もあるだろう。

だが、自分には「思わせぶり」「投げっぱなし」「放棄」のようにしか見えなかった。

初期のエヴァンゲリオンのファンが「こういう隠された意味がある」と考察をしていたのをも思い出させた。

また、主人公は結局のところ何を考えているのか分からない不気味さをずっと醸しているが、最後にやはり「何を考えているのか分からない」となり、感情移入も批判もできなくなった。

演技も一部の俳優の棒読みめいた台詞回しが気になるし(これはたぶん海外では気付かれない)、うんざりするような長回しパートと対極的な終盤の説明不足でぶつ切りの終わり方もアンバランスそのものだった。

この作品のそういう癖を受け止められてこそ「映画通」になるのかもしれないけれども、もしそうなら自分は全然「映画通」になんかならなくていいやと。


…と結構否定的になってしまったが、この映画の数少ない美点として、石橋英子の音楽があげられる。

これは本当に素晴らしいし、一部の森の映像とマッチしていて、冒頭部分やラスト近くはMVとしては十分に成立すると思った。

だが、彼女の音楽を楽しむためだけに、わざわざこの映画をそのうちもう一度見ようとはならなかった。