高橋マリ子はよかったが〜『世界の終りという名の雑貨店』

映画『世界の終りという名の雑貨店』(2001年)を観た。

予想通り、嶽本野ばらの原作とは相当雰囲気が違っている。まず、女子高生映画になってしまっていて、主人公は誰なんだろう、というところで違和感を抱く。小説では主人公は「僕」だったと思うのだが、ここでは高橋マリ子(添付画像)が演じる「胡摩」が主役となっている。彼女の旧友も何人も登場して、原作の持っている孤独な世界という雰囲気とは別の世界でのお話だと感じさせられる。

また、主人公の男=「僕」は、原作の持つ繊細さの代わりに、力強さを兼ね備えているように見え、全く別のキャラクターという感じだ。どっちが魅力的なのかという問題は別にして、例えば「一緒に逃げよう」などと逃避行に誘う台詞を力強い口調で吐かれると、観ている方は、脱力するのを通り越して、思わず笑い出さざるを得ない。

結局、これは原作と同じタイトルでありながら、まったく別の世界観を持った映画なのだ。原作の「ねえ、君。雪が降っていますよ。世界の終わりから出発した僕達は、何処に向かおうとしていたのでしょうね。」という静謐な空気に浸りたいのであれば、映画を観ずに、小説を読んだあと目を閉じて、自らの脳内世界に入っていくべきなのだろう。

それでも、主演の高橋マリ子は魅力的だ。美しいほどに伸びた長い四肢、永遠に解けない謎を湛えたような瞳、そして多様な解釈を許容するあいまいさを残した顔の表情。彼女がVivienne Westwoodのショップで様々な洋服を試着する場面こそ、間違いなくこの映画の最大の見所の一つだと思う。