当時に比べればタイムリープ系やループ系の設定は市民権を得てはいるが、このジャンルでは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という大傑作があるだけに、映画チャレンジのハードルは高くなっている。
それを舞台を1995年の日本にした上で、恋愛要素を多め、かつイケメンの新キャラを投入することで、20年代の邦画として世に問うた三木孝浩監督。
さて、その結果はいかに。
結論から言えば、オリジナル展開は功罪半々という感じ。
まずは「罪」の方。
主人公の年齢を下げ、ヒロインの年齢を上げたことで、最初の世界線の段階から「淡い恋愛関係」が成立してしまっている。
それゆえ、婚約者に裏切られた時の絶望感や、過去をやり直そうとするときの孤独感が、だいぶ薄まってしまっている。
原作ファンであればあるほど、この改変には違和感を感じるだろう。
一方「功」の方。
原作にもアンドロイドが出てくるが、コールドスリープ後の未来で出会うアンドロイドの”ピート”。
これが頼りない主人公を助けるパートナーとなり、恋愛要素に加えて、ある種の凸凹コンビ感というか、バディ的な味わいさえ醸す。
猫好きには猫の”ピート”こそがバディだという思い入れもあるだろうが、新しい解釈としてこれはアリかもと思わされた。
演出的には、BTTFのような目まぐるしく事態が進んでいくスピード感はなく、日本の映画よなあという感じのまったりとしたテンポ、かつ内面を隠喩的に示すような叙情描写が多め。この辺は、設定はSFなのに、主題が恋愛に寄ってしまっていることの影響だと思う。
1995年当時、主人公とヒロインがウォークマン(!)のイヤホンを片方ずつシェアして、ミスチルの『CROSS ROAD』を聴くという場面が出てくる。
胸キュンなシーンではあるが、この名曲の楽曲の世界観に頼りすぎているように感じてしまった。この辺の楽曲と作品の関係性は、三木監督の出自がMVであることと関係があるかもしれない。主題歌のLiSAの『サプライズ』よりもミスチルの名曲の方が強く印象に残ってしまうのはどうなのとは思った。
映像に関しては、どんな場面になってもヒロインの清原果耶を美しく映すカメラのこだわりが印象に残った。
が、作品としては、SF要素を残しつつも、純愛テイストを盛り込んで、全体としてはややテーマや推進力が不明瞭になった感は拭えない。
とはいえ、あちこちに残るパッチワーク感に目を瞑れば、この名作原作の持つ面白さをミスチルの名曲と結びつけるという編集的センスをもって、現在の日本映画界に問うた三木監督の意欲は評価できる作品だと思う。