シャネルである必要があったのか―『ココ・アヴァン・シャネル』

ココ・アヴァン・シャネル』を観た。

公式サイト:映画『ココ・アヴァン・シャネル 』オフィシャルサイト

ココを演じたオドレイ・トトゥは、『アメリ』の頃のかわいらしい雰囲気から大分存在感を増して、女優として一皮向けた落ち着いた演技を見せてくれている。

だが、脚本が悪すぎる。孤児から貴族の居候(というかむしろ愛人と言うべき)に成り上がる。既存の価値観にとらわれない彼女の純粋さ、そして目指した道を突き進むひたむきさが描かれる…のだが、エキセントリックな変人にしか見えない。

また、彼女を支援する貴族の方も「有閑階級の気まぐれ」以上のものを感じさせず、ココの才能を支援するとか、彼女の人格に惚れ込むとか、そういう描写が弱かった。

結局のところ、「アヴァン・シャネル」と謳っているわりには、「シャネルはいかにしてシャネルとなったか」の説明は全く不十分。貴族二人を手玉に取った(ように見える)挙句に、デザイナーとしてデビューする場面まで飛んで終わるというのは、途中の説明を省いているだけでなく、映画として主題の描写を放棄しているように見える。これならば、何も主人公がシャネルその人である必要まではなかったのではないかと。

『プラダを着た悪魔』のようなファッション界のシンデレラ・ストーリー的なものを期待していた自分にとっては、全く期待外れの映画だった。では、何も期待せずに観たら楽しめたかというと、それでも厳しい感想しか抱けなかっただろうと思われる。

自分にとってはオドレイ・トトゥの魅力だけが見どころだといっても過言ではない。そんな作品。

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