ネーミングの妙〜『ゲーム的リアリズムの誕生』

東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生動物化するポストモダン2』を読んだ。

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書)

本書は2007年の刊行。2008年の秋葉原の大規模殺傷事件の前年ということで、オタクの幸福が何を前提としているのかという社会的な視点はなく、もっぱらデータベース文化に関する個別分析が中心。

本書の中で東は「セーブ→選択→分岐→エンディング→ロード→別の選択→分岐→別のエンディング」という構造を「ゲーム的リアリズム」と命名し、『ひぐらしのなく頃に』などのゲームや文学作品について論じている。その分析の当否はともかく「ゲーム的リアリズム」というネーミングは上手いと思うし、その枠組みで個別作品を斬る切れ味はさすがで、作品への愛情も感じる。

先日考察した『アマガミSS』のアニメのループ構造についても(マルチエンディングをアニメ化するということ〜『アマガミSS』 - Sharpのアンシャープ日記)、一言「アニメ『アマガミSS』って、東浩紀の言うところの「ゲーム的リアリズム」で作られているよね」と書けば済んだのかもしれない。

しかし、「ゲーム的リアリズム動物化したオタクを幸せにするし、単にゲームに没入するだけじゃなくて、ゲームの外のことについても考えさせてくれる」というだけで良いのだろうかという疑問は沸いてくる。「それで、あなたはいったい何が言いたいのか。若者に何かメッセージはないのか」と問いたくなる。あ、これじゃ大塚英志と同じか…

そういう意味では、本書は東の現状認識を具体的に述べているものに過ぎず、ここから生まれてくるであろう諸問題や、動物化するだけでは解決しない問題についての考察は、さらに最近の東の言論を追うしかないのだろう。

でも、まあ、個人的にはちょっと東浩紀の仕事を追うのはお休みしようかと思う。大体理解できたしね。