『まどマギ』考察序論―ゲーム的リアリズムの観点から(1)

『まどマギ』って結局『ひぐらし』だったね、という人がいる。そうか? 本当にそうか?

魔法少女まどか☆マギカ』は、確かに「ループもの」だった。東浩紀の言葉を借りれば「ゲーム的リアリズム」をもった作品、と言ってもよい(「ゲーム的リアリズムについては、以下の囲みを参照)。

東は「セーブ→選択→分岐→エンディング→ロード→別の選択→分岐→別のエンディング」という構造を「ゲーム的リアリズム」と命名し…(以下略)
ネーミングの妙〜『ゲーム的リアリズムの誕生』 - Sharpのアンシャープ日記
(「ゲーム的リアリズム」の例として東が分析している作品は『All You Need Is Kill』『ONE』『Ever17』『ひぐらしのなく頃に』『九十九十九』)

さて、『まどマギ』は、構造として『ひぐらし』と同じく「ゲーム的リアリズム」をもった作品だ。自分でも、以前のエントリでこのように書いた。

これも想像だが、まどか☆マギカの世界は「ひぐらし的時間」をループしているのではないかと思う。
交わした約束忘れないよ〜『魔法少女まどか☆マギカ』最終回予想 - Sharpのアンシャープ日記

だが、『まどマギ』が「ひぐらし的時間」をループしているからといって、これらの作品群を十把一絡げに「ループもの」に分類すれば事足りるわけではない。『まどマギ』を10年に一度の傑作と位置付けるのであれば、より突っ込んだ分析によって「なぜ傑作となりえたのか」という本質を明らかにする必要がある。

ということで、「ゲーム的リアリズム」という観点から『まどマギ』の分析を試みる。その過程で『まどマギ』と過去の作品群の共通点を示すと同時に、この作品ならではの固有性も浮き彫りにする。本来、東浩紀がこうした考察をしてくれると良いのだが、同時期に放送された『フラクタル』に関わった関係で『まどマギ』について評論するのは難しくなっているようなので、やむをえない。

まず、考察にあたり、作品分析の鍵となると思われる以下5点を明確にする。

  • 物語の主人公は誰か
  • ループさせているのは誰か
  • ループの原因は何か
  • ループに気付いているのは誰か
  • ループ脱出の条件は何か

また、比較対象として『ひぐらしのなく頃に』に加えて、同様の「ゲーム的リアリズム」の構造を持つ作品として、『仮面ライダー龍騎』と『涼宮ハルヒの憂鬱シリーズ』を用いる。『ハルヒ』は、アニメ化で悪名高い「エンドレスエイト」だけでなく、アニメ化で名作の誉れ高い「涼宮ハルヒの消失」を加えたい。なお、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』もループものであることは明らかだが、現状未完のため基本的には考察の対象から外しておく。

後日追記。『Fate/hollow ataraxia』も対象に加えるべきかもしれない。

(続く。次回 id:SHARP:20110506)