非人間化こそ管理社会の到達点〜『1984年』(新庄哲夫訳)

村上春樹の『1Q84』がミリオンセラーになった。が、ジョージ・オーウェルの『1984年』は、それほど読まれていない。どういう小説であるかは、広く知られているにもかかわらず。
―ということで、まずは旧訳の早川文庫を読んでみた。1972年発行。

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

いまさらだが、読み終わって思ったのは、これは現代人の必読書だということ。この小説がなければ、『未来世紀ブラジル』も『マトリックス』も『Vフォーバンデッタ』も『ダーク』もなかっただろう。

オーウェルは、スターリンのソヴィエトを見ながらこの作品を著したのだが、単なる反・共産主義の書ではない。むしろ、冷戦下の東西対立にとどまらない「モダン」の社会のあり方に一石を投じている。たとえば、主人公の所属する「オセアニア」政府のスローガンを見よ。

戦争は平和である
自由は屈従である
無知は力である

21世紀の自由主義社会に生きる僕から見ても、他人事とは思えない、実に恐ろしいスローガンだ。政府はこのスローガンの通りに、過去を改竄し、諜報を巡らせ、社会を統制する。一糸乱れず、不気味なまでに整斉と。「偉大なる兄弟(ビッグ・ブラザー)」の名の下に。

物語の終盤で政府関係者は以下のように述べる。

過去を支配する者は未来まで支配する。現在を支配する者は過去まで支配する。

これは何も独裁政権に限った話ではない。権力に関する普遍的な真理を書いたものだ。そして、権力による管理が徹底するということは、人が自由に考えることができなくなることを意味する。また、人が自由に行動できなくなることを意味する。言い換えれば、人間が非人間的になるということだ。

ここにあるのは、おぞましい管理社会の姿だが、さらに管理が進行すると人はそれを「おぞましい」とは感じなくなるだろう。自身が「不自由だ」とも感じなくなるだろう。いわば、人は不都合な真実を全く知らされることなく、静かに整斉と管理されるのだ。つまり、高度に発達した管理は自由と見分けがつかない、と。僕らが恐れるべきは、むしろそういう社会かもしれない。『1984年』よりもむしろ『マトリックス』のような。

さて、最後に訳文について。旧訳であることを意識させられることはあまりなかったが、女性の会話文だけはやや古臭いと感じた。