『村上春樹 ハイブ・リット(1)』

柴田元幸のものを鑑賞し終えたので、いよいよ村上春樹のハイブ・リットへ。収録作品は以下の通り。

レイニー河で/ティム・オブライエン(朗読:ティム・オブライエン)
ささやかだけれど、役に立つこと/レイモンド・カーヴァー(朗読:グレッグ・デール)
レーダーホーゼン/村上春樹(朗読:ジャック・マルジ)

同じ「ハイブ・リット」シリーズということになるが、柴田元幸のものとはいろいろな点で違っている。収録作品が3点と少ないこと(柴田元幸の方は6点)、3点のうち著者自身による朗読は1点のみであること(柴田元幸の方は全て著者の朗読)、日本人というか村上春樹による作品が収録されていること、などは、読む前から気が付く違いだ。
しかし、何よりもこの3作品を全て読むと、この作品が見事に村上春樹の文学上の問題意識をしっかりと踏まえて選ばれていることに気付く。「家族」「自己」「他者」「コミュケーション」「認識の変容」「カタストロフィ」といった要素が凝縮されているのだ。いわば、柴田元幸のハイブ・リットが「良質な短編を集めた良質な英語教材」であるのに対して、村上春樹のそれは「英語教材の体裁を纏った文学」だと言えばよいか。いずれにせよ、通勤電車に乗っていて危うく乗り過ごしそうになるくらい作品世界に没入してしまうというのが、村上春樹のセレクションの凄さだと思う。

ということで、まずはティム・オブライエン『レイニー河で』。この作品は、アメリカがベトナム戦争に臨んでいたときに徴兵を体験する青年が主人公だ。これだけは、どうしてもティム・オブライエン本人の朗読でなければならない。「勇敢とは何か」「卑怯とは何か」ということについて、主人公は神経が衰弱するほど悩む。「逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ逃げちゃだめだ…」どころの話ではなく、"EXILE"になるかならないかという瀬戸際にいるというわけだ。

「逃避とは何か」ということについて悩みぬいた末、主人公は決断を下す。そして、その決断を振り返る言葉は重い。読み終わって、いや、聴き終わって僕は思う。いま、自分は逃げていないだろうか、と。

村上春樹ハイブ・リット

村上春樹ハイブ・リット