相田裕のこれまでの傾向からすると、トリエラに死亡フラグが立ったということではないか。
- 作者: 相田裕
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2008/10/27
- メディア: コミック
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トリエラは自分がかつて何者であったかを知る。そして、彼女は自分がどのようにしていまの姿になったか、その過程でヒルシャーがどのような葛藤を抱えているのかを知る。これは他の義体にはないことだ。
また、トリエラは知っている。義体は短命であり、遠くない未来に自分もアンジェリカのように命を終えることを。さらにトリエラは知っている。殺人機械として公社のために仕事をすることの空虚さを。そしてトリエラは知っている。自分の仕事をする姿が、フラテッロであるヒルシャーの苦悩を深めることを。
トリエラは決意する。「この人と一緒に 必死に生きて そして死のう」と。ここでのトリエラのヒルシャーに対する思いは、公社による「動機付け」ではなく、本当の「愛」のように思える。作品でははっきりと描写されていないものの、トリエラはヒルシャーに接吻しているように見える。さらに、見ようによっては、半裸で眠っているヒルシャーを抱いているようにも思われる。そして、この行為自体が「死亡フラグ」そのものではないかと感じられる。
いずれにせよ、トリエラに限らず、義体は長く生きられない。だからこそ必死に生きて死ぬしかない。このトリエラの悟りは正しいが、しかしそれは人間にとっても言えることだ。我々だって「必死に生きて死ぬしかない」のだ。
相田裕の描こうとしているのは、銃でも、美少女でも、殺人機械でもない。結局のところ「人間らしいとはどういうことか」という問題に迫ろうとしているのだと思う。