不合理ゆえに…

「不合理ゆえに我信ず」という言葉があるが、これはあくまで宗教、つまり神の世界の話だ。科学で立証的できないものを「不合理」と呼ぶのであれば、神の存在などというのはまさに「信じるか」「信じないか」あるいは「保留するか」しかない。

しかし、宗教を除く人間の世界はそうではない。特に複数の人間が活動していこうとする場合には、不合理であれば人は離れていくだろう。「これはおかしい」「筋が通らない」と。

この世の不条理を受容して生きていくことを「大人の態度」と呼ぶのなら、僕はまだ大人になっていないのだろう。俗に「不惑」という歳の人になる頃には、そういう全てを受け入れることができるようになっているのだろうか。