記憶は失われても想いは残る〜『時をかける少女』

2006年版の『時をかける少女』を観た。主人公は、原作の芳山和子から現代の高校生・紺野真琴へと世代交代を遂げているが、ストーリーの主題は変わらない。「いまを生きる」ことの素晴しさ。これに尽きる。これは最上質の青春映画なのだ。

時をかける少女

もちろん、高校生活は陳腐に語られるように「夢と希望に溢れている」なんて甘美なものではない。テストはあるし、イジメもあるし、そして「進路選択」を余儀なくされる。だが、そうした現実の中で、心の触れ合える瞬間があるということはとても素晴しい。仲間意識を感じたり、仄かな恋愛感情を抱いたりということがいかに得がたいか。それは長く生きるほど分かっていくものだ。

時をかけることができない僕らは、二度とは戻れない時間を生きている。だから、つねにその瞬間を大事にしないといけない。縁あって出会った人、同じ時間を一緒に過ごしている人、同じ感動を共にしている人、その人こそが僕の宝物なのだ。

未来人が記憶を操作しようがしまいが、やがて僕らの記憶は失われる。年をとるにつれて確実に。だが、記憶は失われても、きっと想いは残る。大切な人を愛する想い、至福の瞬間よ止まれと願う想い。そうした想いは、心の奥底の方に堆積していくのだろう。

…というようなことを考えさせられた。貞本のキャラクターデザインも、エヴァとは全く異なり、爽やかなテイストを醸し出していた。また、主演の仲里依紗をはじめとする若い声優陣も、高校生らしい雰囲気を加速していた。BGMに使われていたJ・S・バッハのゴールドベルク変奏曲も、タイム・リープのイメージに合っていた。

一つだけ残念なのは、上映する映画館の少なさ。信じられないことに都内での上映は、定員260余名のテアトル新宿のみ。封切一週間を経てなお、毎回立ち見が出るほどの盛況。この夏あと何回か観たいと思うので、それまでに上映館が増えていることを希望。