ラブコメなんてレベルじゃない〜『"文学少女"と神に臨む作家』

"文学少女"シリーズの最終話。天野先輩の驚くべき「正体」が明らかになる―という評判が怖くて手をつけていなかったが、『劇場版"文学少女"』で腑に落ちない点があったので、意を決して読んだ。以下ネタバレ。


想像以上のドロドロの愛憎劇。これはライトノベルの「ラブコメ」なんていうレベルじゃない。表紙のかわいさに騙されて買うととんでもないことになる。下敷きにしているのがジイドの『狭き門』ということだが、これも原作未読。よく知らなかったけど、こんな怖い話だったのか。

そして、天野遠子の生い立ちの謎が解けるということだったが、この真相も喜んでよいのか悲しんでよいのか分からない。実の親は生きていたという点では喜ばしい一方で、複雑な人間関係の末に命を授かったものの必ずしも祝福されたなかったという点では悲しすぎる。

あとは、琴吹さん、というかななせがどうしても不憫。一途な想いを持っていただけに、エンディングでこんな形で主人公の選択を突きつけられるというのはね。

「ねぇ、心葉くん。いつか小説書いてね。心葉くんの書く物語を、私に読ませてね。」

分かりました。遠子先輩。僕は小説を書きます。先輩に読んでもらうために。でも、僕は井上ミウなんですよ。だから、僕が書いた小説は、先輩以外の人にも読まれることになるのでしょう。それが先輩の望みなんですね。そのために、僕はまた誰かを不幸にするかもしれません。でも、結局、誰かを幸せにするためには、誰かが不幸になるのでしょう。「皆が幸せになる」なんていうことはないのですから。それでも、僕は小説を書きます。あなたのために。あなたに読んでもらうために。