”政治的に正しい”女性ヒーロー〜『ブラック・ウィドウ』(2021年・アメリカ、ケイト・ショートランド監督)

2019年の『アベンジャーズ/エンドゲーム』で一つの「結末」に至ったMCU

次の展開がどうなるか注目を集める中公開されたのは、時間を『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』直後に戻し、ナターシャ・ロマノフに焦点を当てた『ブラック・ウィドウ』。

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スーパーヒーローが集まるS.H.I.E.L.D.の中において、ロシアに出自を持つスパイという属性もあって、特殊能力というよりはエージェントとしての身体能力や判断力、コミュニケーション能力、精神の強さなどを”武器”にするナターシャ。

本作のトーンも、MCUのヒーローものというよりは、スパイ映画に近い趣。

シリアスなスパイ映画を主成分とする中に、彼女の父母妹などの家族との間の家族愛フレーバーが入り込む。

こういう設定だと、見る方として期待するのは、家族愛が伏線となって、敵の秘密基地に潜入してボスキャラを倒すことで大きなうねりが生まれるというドラマだが、実際にはスパイアクションのシリアスさと、家族パートのほのぼのさの空気感があまりに違い過ぎていて、うまく混ざり合わない居心地の悪さを感じっぱなしだった。

精神的にも肉体的にもタフで異性に媚びないというこのナターシャのキャラクターは、今のハリウッド映画・ディズニー作品としては”政治的に正しい”、ある意味で現在の王道だ。

だが、本人が完全無欠であることに加えて、妹も好敵手となるほど強く自立していて、母親も歳を重ねても全く衰えず・・・と女性キャラクターばかりが強く美しく描かれる一方、父親は憎めないがだらしないところがあり、敵ボスキャラ(男性)は、女性を人とも思わない極悪非道というアンバランスさ。

監督のケイト・ショートランドも能力を評価されて抜擢されたのだろうと思うが、ポリコレを求めるあまりにエンタメ要素を損なっていると感じずにはいられなかった。

ナターシャのキャラクターにもあまりに隙がなさすぎて、かわいげもなければ、同情も生まれにくい。MCUのおっさんキャラの中にはそういう「人間味」を醸しているのも少なくないので、それとの対比で「面白みが少ない」「薄味」と感じてしまった。

ともあれ、コロナで大混乱した2020年は終わりを告げ、このようなビッグネームの「洋画らしい洋画」がスクリーンに帰ってきたことは喜ばしいことだと思う。

日常を取り戻していける2021年後半になるといいなと願いつつ。