J'ai l'extase et j'ai la terreur d'être choisi.
(Paul Verlaine, "Sagesse")撰ばれてあることの
恍惚と不安と
二つわれにあり
(ポール・ヴェルレーヌ「叡智』(堀口大學・訳))
10月29日の武道館ワンマンで、藤井風は2曲の新曲を一挙に初披露した。
一曲目はアグレッシブなサウンドの『へでもねーよ』、二曲目は爽やかシティポップ風の『青春病』。
わざわざ「爽やかシティポップ風」と「風」をつけたのは、この曲がとても奥の深いものであることに今更ながら気付いたから。
まずは歌詞。
青春の病に侵され
儚いものばかり求めて
いつの日か粉になって散るだけ
青春はどどめ色
青春にサヨナラを
爽やかな曲調とは裏腹の「どどめ色」というパワーワード。
まずここで引っかかる。
甘美なバラ色でもなく。
酸っぱいレモン色でもなく。
透明感のあるラムネ色でもなく。
語感からしてもドロドロのどどめ色。
フック。
「どどめ色」を調べると、青痣の色とある。
血の滲んだ、暗くて、あまり映えない色。
それが「どどめ色」。
天が二物を与えたような藤井風にとって、「青春はどどめ色」とは一体どういう意味なんだろう。
次に引っかかるのは曲の構成。
爽やかシティポップなら、耳障りのいいフレーズをあえて意図的に繰り返すのだが、この曲はそうはしていない。
藤井風の『青春病』の構成凄いな。
— Sharp (@sharpc) 2020年11月4日
Dメロ=サビ
イントロ
Aメロ×2
Bメロ
Cメロ
Dメロ=サビ
間奏
Aメロ
Bメロ
Cメロ
Eメロ
Fメロ×2
Dメロ=大サビ
アウトロ
2曲分のメロディ詰め込まれてるし、展開がドラマティック。それでいて小難しさを感じさせず、聴きやすいシティポップと思わせる技量が凄い。 pic.twitter.com/sEenlEaNfE
Fメロまである大規模で複雑な構成である。
Dメロ=サビ (青春の病に侵され〜)
イントロ
Aメロ (ヤメた あんなことあの日でもうヤメた〜)
Aメロ (ムリだ 断ち切ってしまうなんてムリだ〜)
Bメロ
Cメロ (止まることなく走り続けてきた〜)
Dメロ=サビ (青春の病に侵され〜)
間奏
Aメロ (そうか 結局は皆つながってるから〜)
Bメロ (君の声が 君の声が 僕の中で叫び出す〜)
Cメロ (止まることなく走り続けてゆけ〜)
Eメロ (無常の水面が波立てば ため息交じりの朝焼けが〜)
Fメロ (切れど切れど纏わりつく泥の渦に生きてる〜)
Fメロ (野ざらしにされた場所でただ漂う獣に〜)
Dメロ=大サビ (青春のきらめきの中に〜)
アウトロ
歌詞は素晴らしいので全文を掲載したいくらいだけれども、注目はこのEメロでガラッと空気が変わるところ。
無常の水面が波立てば
ため息交じりの朝焼けが
いつかは消えゆく身であれば
こだわらせるな罰当たりが
音楽への道を進むか否かで迷い続け「ヤメた」「ムリだ」と自問自答を繰り返し、それでも「君の声」(自分に降りてくるオリジナルのメロディ)が頭をかすめたり、叫び出したりする。
そんな葛藤を乗り越えようと悩んで朝を迎えたところに誰かの声が降りてくる。
すなわち「いつかは消えゆく身であればこだわらせるな罰当たりが」と。
音楽を志すことは煩悩なのか啓示なのか。
Fメロで彼の葛藤は続く。
切れど切れど纏わりつく泥の渦に生きてる
この体は先も見えぬ熱を持て余してる
野ざらしにされた場所でただ漂う獣に
心奪われたことなど一度たりと無いのに
そしてクライマックスの大サビ。
青春のきらめきの中に
永遠の光を見ないで
いつの日か粉になって知るだけ
青春の儚さを
結局のところ「答」なんて出ない。
だが、彼はここで覚悟している。
たとえ永遠の光にならずいつの日か粉になろうとも、自分の中で湧き上がる音楽への想いを信じて生きていこう、道を踏み出そうと。
この尊い彼の決意にこそ、『青春病』の魅力を感じる。
決してリスナーに難しいことを感じさせないのに、聴けば聴くほど奥の深さを感じる藤井風の世界。
これからも目が離せない。