アラビアの中心で「解放」を叫ぶー『アラジン』(2019年、アメリカ、ガイ・リッチー監督)

1992年のアニメ版『アラジン』のリメイク実写版を観てきた。

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キャラクターやプロットはおおむね原作を踏襲しているが、実写版の目玉として注目されているのはウィル・スミスによるジーニー。

「主人の願いを叶えるランプの魔人」というステロタイプなキャラクターに、変幻自在で自由奔放な味付けを加えて主役の人気を喰うほどのキャラクターにしたのはアニメ版の功績。声優を担当した芸達者のロビン・ウィリアムスの功績も大きかった。

だが、ウィル・スミスの演技、CGを駆使した演出は、アニメ版に慣れ親しんだファンの期待を裏切らない。

それどころか、彼の持っている「味」まで加わって、ますます愛すべきキャラクターへと進化を遂げている。

まさに「百面相」と呼んでいいだろう。

もう一つの見所は、昨今の「ミュージカル映画ブーム」の反映。

魔法の絨毯に乗ったジャスミン王女とアラジンのデュエットで歌われる「ホール・ニュー・ワールド」はこの作品のテーマソングだか、そればかりではない。

ジャスミンが自己主張を強く打ち出す「私は屈しない」みたいなソロ曲が新規に加わったり、ジーニーがバックダンサーを率いて歌って踊るというバーフバリっぽい「ボリウッド映画」のような場面も増えて、ミュージカル好きには見所が増えた。


20世紀の「ディズニーヒロイン」は、王子様の迎えを待つという旧来型のジェンダーに囚われているという批判があった。

ディズニーヒロイン像が変わったのは、一般的には『アナと雪の女王』(2013年)からだと言われることが多いが、実はアニメ版『アラジン』(1992年)からその萌芽はあったように思われる。

王子様のお迎えを待つのではなく、むしろ「私は屈しない」「身分の低い男性と自由恋愛を成就させる」ヒロイン像としてのジャスミン


アニメ版のエンディングは、「で、次期国王はどうなるの?」という点を先送りにしてモヤモヤが残ったわけだけれども、今回の実写版では、しっかりと改変がされていて、これが21世紀のディズニーの”ポリコレ”なんだろう。


ジャスミンは王国の「法律」から解放され、ジーニーはランプの「因果律」から解放される。そして、そのジーニーを演じるのは、黒人俳優というわけだ。


いわば「アラビアの中心で解放を叫ぶ」作品として、アニメ版よりも政治的なメッセージが強化されていると言ってもいいだろう。


もちろん、こうした価値観は欧米近代のものであり、伝統的なイスラムの価値観とは真っ向から対立するものだ。保守的なイスラムの文化からすると「異教徒の価値観」「文化の盗用」という批判が起きてもおかしくないし、場合によっては「上映禁止」とする地域があるかもしれない。


日本にとっても決して無縁な話ではなく、「女系天皇」「女性天皇」の議論が沸き起こりつつ中、「王族の女性が身分の低い貧しい男性と恋に落ちる」というプロットをどう受け止めるかというのは、なかなか奥深い議論を呼ぶ契機になると思う。


・・・などと小難しいことを考えないデートムービーとしても十分に楽しめる。

事実、館内にはそういうカップルがたくさんいて、これはこれでヒット作になるだろうと確信。

ミュージカル的な楽しみ方をしたいなら、少し高いけどIMAXおすすめ。