またしても日経の印象操作か

モスクワで開催されているG20は共同声明を出して閉幕した。が、日経新聞の報道がひどい。

「緩和策は脱デフレが目的」 財務相、G20で主張
円安誘導批判に反論

まるで円安誘導批判があったかのような印象操作。財務大臣は「主張」をしたのであって、「批判に反論」したわけではない。なぜ、存在しない批判をあったかのように報道するのか。というか、これはもはや客観性のある報道ではない。

この翌日、続報で日経はこう報じた。

「アベノミクス」薄氷の支持

日本が円安を誘導しているという名指しの指摘は避けられた

そう、「日本を名指しの指摘」などなかった。だから、昨日の報道は「誤報」あるいは「悪質な印象操作」なのだ。「避けられた」などというまやかしの言葉で糊塗してはいるけれども。もともと存在しないものを「避けられた」などというのは、ある種の詐欺だろう。


この詐欺は、一昨年に日経が起こした「日立・三菱重工の経営統合」という誤報の後の弁解と同じだ(嘘も100回言えば真実となるか―日経の誤報問題 - SHARPのアンシャープ日記)。あのときにも素直に誤報を認めることはしなかった。

僕らが報道に期待するのは、何よりも事実を伝えることだ。一貫性などなくていい。メンツにこだわり事実をさらにねじ曲げるのは、報道の役割から一番遠い所にあると思う。

今回、日経は何らかの意図をもって、「外国は、日本の金融政策には根強い不満を持っている」ということを伝えたいのであろうか。

百歩譲って、日経新聞として何らかの信念や経済理論があって円安誘導を批判するのは勝手だが、「新興国から批判されそうだ」や「新興国には不満も残る」を理由にそれを行ってはいけない。確たる証拠もない懸念ではなく、きちんと存在する他の論拠を提示するべきだ。

それとも、日銀筋あたりからのレクチャーを鵜呑みにして、このような報道をしているのだろうか。それであれば「新聞記者は気楽な稼業ときたもんだ」と言わざるを得ない。そんな勉強していない人達の書くものは、結局は読むには値しないということになるだろう。

ときに、早稲田大学では、来年度から「経済ジャーナリズムコース」の大学院コースを新設するという。いまさらそんなところに誰が行くのだろうかと半信半疑だったが、「日本を代表する経済紙」という触れ込みの日経新聞の記事のクオリティがこの程度の残念なものであることからすると、早稲田が考えるような経済ジャーナリズムの教育・研究の余地というのは確かに存在するのだろう。コースの内容が良いものになるかどうかは分からないが、何年か後には、日本の記者の経済レベルの底上げにつながるかもしれない。