決して分かり合えない―川上未映子『ヘヴン』(2回目)

川上未映子の『ヘヴン』が文庫版になったので購入し、再読した。初読のときの感想は、ここは天国ではない〜川上未映子『ヘヴン』 - Sharpのアンシャープ日記に。以下ネタバレ。

ヘヴン (講談社文庫)

ヘヴン (講談社文庫)

「ぼく」はクラスの中でいじめられている。それは中学生にとって世界からの孤立に等しい。そこに同じようにいじめを受けているクラスの女子の「コジマ」からの手紙が届く。「ぼく」と「コジマ」の交流からこの物語は始まる。

孤立する世界の中で「ぼく」と「コジマ」は二人きりだ。「ぼく」を理解し、受容する「コジマ」。だが、世界は決して二人だけを放っておいてはくれない。いじめは容赦なく執拗に繰り返される。そして影のリーダーの「百瀬」との対話。なぜ自分はひどい目にあわせられるのかと問い詰める「ぼく」。そこに理由などないと嘯く「百瀬」。そう。

いじめる側といじめられる側は、決して分かり合えない。

この残酷な真実を、川上未映子はきっちりと描写する。痛いくらいに。

クライマックス。「ぼく」と「コジマ」と「百瀬」は同じ場所に立つ。互いに分かり合えることはない。だから、不可抗力な暴力に屈するのか、抵抗するのか、いずれにもしても問題が「解決」することなどないのだ。

エンディングについてはあえて詳細には書かずにおく。だが、「ぼく」はその場所から抜けることを決意し、新しい世界に飛び込む。とにもかくにも。

初読のときよりもなぜか感情移入できた。比べる対象として適切かどうかわからないが、クラスでいじめられる男女という設定は綾辻行人『Another』と同じなのに、閉塞感という点では『ヘヴン』の方が圧倒的だ。そして、物語の途中の「わかりあえなさ」の不条理さも、最後に得られる「カタルシス」も、すべて『ヘヴン』の方が優れている。

この作品を中学生や高校生が読んで面白いと感じるとは思わないし、積極的にお勧めしたいとも思わない。だが、このゾワゾワと魂を掴まれるような感覚は、優れた文学の性質そのものであり、川上未映子の才能を改めて確認することになった。あとは今回読んでいて、村上春樹作品との類似を感じずにはいられなかった。『1Q84』に最も似ているのかもしれないが、「倫理」と「力」の対立、「世界」と「内面」の葛藤、そして「精神」と「肉体(性)」の対置などが、そういう感想を抱かせるのかもしれない。