ある種の書物は、想像力を要する。たとえばファンタジー。たとえばホラー。そういう本は、想像力が乏しいと内容を理解できないというわけではないものの、豊かな想像力があれば読み進めるのがなおさら楽しくなる。
- 作者: 東浩紀
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2011/11/22
- メディア: 単行本
- 購入: 14人 クリック: 575回
- この商品を含むブログ (157件) を見る
東浩紀の新刊『一般意志2.0』を読んだ。これも想像力によって新しい世界を観ることができる種類の書物だ。ここで東は、ルソーの提唱した「一般意志」の概念を、現代に置いて再構築・再評価を試みている。それが「一般意志2.0」だ。以下は私の想像力をだいぶ交えた感想。
まず「特殊意志」でない「一般意志」という考えは、投資理論における「アクティブ運用」に対する「パッシブ運用」を連想させる。マーケットでは個別証券を分析して売ったり買ったりしているわけだが、それらは最終的に一つの指標となる。インデックスと呼ばれたり、ベンチマークと呼ばれたりするような。どれが値上がりするだのどれが値下がりするだのそういう情報とは別に、市場全体の動きを表すただ一つの数字。東が言う「一般意志2.0」は、東証のTOPIXのようなものではないか。
また、ルソーの「一般意志」がフロイトの「無意識」につながるというアイデアは刺激的だ。個人の意識に焦点を当て、それをかけがえのないものであると評価するのは19世紀的だ。それに対して20世紀の「無意識」という概念を持ち出して「一般意志」を語るのは新鮮だと思う。ここから「人類補完計画」まではわずかの距離しかない気がする。半ば冗談、半ば本気で。すなわち、人類を一つと看做せば、個と個が熟議を通じて議論する必要はないのだ。
最後に、twitterが「一般意志2.0」と親和性が高いという主張も面白く読んだ。なるほど、僕らの現在のコミュニケーションは対話や弁証法ではなく、つぶやきやコメントによって成り立っている。これを民主主義と結び付けることは確かに有益だろうと思う。それは「facebook革命」などという薄っぺらいものではなく、停滞する民主主義に新しい息吹を送り込むものになるだろう。本書には、そういうビジョンを与えてくれる不思議な力もある。
最終章で印象に残った著者の「予言」を引用してみる。
世界は複雑になりすぎた。国家と熟議は耐用年数を超えている。人類はこれから、否応なしに、人間的な理性の力だけではなく、動物的な憐れみの力をも利用して社会設計をすることを迫られる。
(東浩紀『一般意志2.0』P.251)
そのような社会設計には新しい思想が必要になる。東の提唱する「一般意志2.0」がそういう場面で有用であることは間違いない。本書が広く読まれ、著者の「夢」を多くの人が共有することで、そういう社会に近付けるのではないかと思う。