僕らはいつになったら立派な大人になれるんだろうか〜『父として考える』

東浩紀宮台真司の対談集『父として考える』を読んだ。以下ネタバレ。

父として考える (生活人新書)

父として考える (生活人新書)

「父として考え」ているのは第一章だけで、後半はほとんどが「若者論」だったり「社会論」だったりおなじみの持論。終盤で両名が自虐的に振り返っていた通り、「父として」という意識が弱さが特徴的な二人かもしれない。あえて言えば「父になって考える」という感じか。

宮台は「自分ができなくても、できる人に頼む」ことが重要だという。ソーシャルスキルというか、コミュニケーション能力。ああ、これは耳が痛いな。
一方、東はこうした宮台の主張に同意している様子はない。むしろ、住民ネットワークに根付くことを重要性を実感をもって説いている。

東:娘はいま保育園ですが、あと二、三年もすると小学校の選択という大きな問題に直面します。そこで周囲を見回してみると、うちの近所の場合、マンションの隣人も保育園の友だちも多くは近くの公立小学校に行くらしい。
そしてここで重要なのは、小学校の質云々以前に、まずはうちの娘にとってその人間関係自体が大きな財産だということです。私立への進学を選択することは、その多くを捨てることを意味する。それは彼女にとって大きなコストです。ではそれだけのベネフィットはあるのか。大人の、というか僕のような都市住民の観点からは、人間関係も流動的なものに見えてしまう。けれども子どもにとっては、それはすべてかけがえがない一回限りの経験です。したがって変化や移動のコストがきわめて高い。世界に対するモードがまったくちがっている。

いつものことだが、東の言うことに共感を持った。まあ、軽い読み物としても面白い一冊。僕らが「父として考える」なんて立派な大人になれるのはいつのことだろう、なんて考えながら。