さよなら僕だけの少女―『かがみの国のアリス』

ふしぎの国のアリス』に続いて、河合祥一郎の新訳による角川つばさ文庫版『かがみの国のアリス』を読んだ。okamaのイラストのことは前回のエントリで論じたので簡単に(史上最萌アリス―『ふしぎの国のアリス』 - Sharpのアンシャープ日記)。ただ、78点のふんだんなイラストがファンタジーの世界に読者を誘ってくれる。

しかし、両者の読後感はまるで異なる。前作『ふしぎの国のアリス』が無邪気な好奇心に溢れているのに対して、『かがみの国のアイリス』は冒頭からクロージング(結末)を意識した物語になっている。

時はうつろい、ぼくと君
半世もはなれている憂(う)き身。
でも、愛らしい笑みで受けてくれると思いなし、
愛をこめて贈ろう、このおとぎばなし。

かがやける君の顔(かんばせ)、もはや見えぬ。
銀(しろがね)の笑い声も、もはや聞こえぬ。
若い君の人生は幸せざんまい、
ぼくのことなどかえりみやすまい――

この作品を書いているときには、ルイス・キャロルは実在するアリスと会うことを事実上禁じられていた。そして、実際に彼女はその後王子と交際することになるのだ(結婚相手はまた別の人)。

「ぼくのことなどかえりみすやまい」というのは、ルイス・キャロル自身の心の底から湧き出てくる嘆きだ。彼の心情を思うと、涙なくしては読めない一節である。ここに反応するのは大人だけかもしれないけど。

本書は「ふしぎの国」とはまた別の「かがみの国」で繰り広げられるおとぎ話である。前作がトランプをモチーフにした場面が出てくるのに対して、本作ではチェスが重要な役割を果たす。アリスは、白のポーンとしてゲームをスタートし、最後は白のクイーンに成るのだ。少女はやがて王女になるという隠喩。アリスは白のナイトによって、赤のナイトから助けられる。著者が少女を見守り育むという隠喩。そして、少女は鏡の国から出ていくのだ。普通の世界に。それがクロージングだ。

少女の物語はやがて終わる。大人になることによって。物語の作者であっても、いつまでも少女の物語を続けることはできない。また、物語の作者であろうと、自身が少女の物語の最終章を飾るわけにはいかない。

さよなら、僕だけの少女―『かがみの国のアリス』は、悲しい決別の物語だ。