何のために書くのか〜『終の住処』

第141回芥川賞受賞作の磯崎 憲一郎『終の住処』を読んだ。

終の住処

終の住処

著者は44歳の現役ビジネスマンということで、若い女性の作品よりも親近感をもって好意的に読んだのだが、ストーリー、文体ともに惹きつけらる点はなかった。この人は本当にこんな話をこんな風に書きたいのだろうか―そんな疑問が強く残った。書かずにはいられないという衝動とか、斬新な表現を試みたいという探究心とか、読者を喜ばせたいというエンタテイメント性とか、そういうもの一切が感じられないのだ。

もちろん、計算された破綻のない文章からは、著者が合理的なビジネスの世界で活躍している様子が十分に偲ばれる。だが、合理的なだけでは、文学として必ずしも魅力を持つものではない。自分の内面と向かい合ってこそ、そして世界に対して語りかけてこそ、初めて文学は光を放つ。で、この著者は何を書きたいのか、何のために書くのか。そこが全く見えてこない。

選考委員のコメントは賛否両論であったが、個人的にはこの作品がガルシア=マルケスの『百年の孤独』を持ち出されるようなものとは思えず、石原慎太郎村上龍高樹のぶ子宮本輝らの「否」のコメントの方に共感した。