半年ぶりの浦沢アトム=『PLUTO』の新刊。
- 作者: 浦沢直樹,手塚治虫,長崎尚志
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2009/02/27
- メディア: コミック
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- 作者: 浦沢直樹
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2009/02/21
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原作があるのでネタバレも何もないと思うが、一応「ネタバレあり」と書いておこう。
前巻から死亡フラグの立っていたエプシロンがプルートゥとの格闘の末、ついに死んでしまう。だが、プルートゥに対峙する「平和主義者」のエプシロンの「心」の機微が丁寧に描かれた末での死だ。決して無駄死にではない。また、相手を殺そうとした結果として敗れて死んだわけでもない。エプシロンは、あくまで人間を守るために死ぬのだ。それはロボットの本来的な使命である。そして、エプシロンは、同士であるロボットを殺すことも望まなかった。その高潔な判断の結果が、自らの死となったということだ。エプシロンは死ぬまで自らの生き様を貫いたとも言える。美しく、強く、そして儚いエプシロン。僕は、君が、好きだった…
さて、平行して語られるアトムの再生。天馬博士は、完璧なはずのアトムの復活を待つ。だが、世界の60億の人間のデータを全て入力されたロボット同様、アトムは蘇らない。これは何を意味するのか。「完全な人間」をシミュレートしても「人間」にはならない。そこには感情や偏りがないからだ。個性といってもいいのかもしれない。いずれにしても、天馬博士は「個」を注入するべく、ロボットの「魂」となる誰かのメモリをアトムに挿入する(このメモリはゲジヒト刑事のものかアブラー博士のものかそれとも全く別のものか不明)。
このメモリの挿入と、ウランの訪問と、エプシロンの死がほぼ同時に起こり、その結果としてアトムがついに目覚める。それは完全な人間のコピーとしてではない。覚醒したアトムは「わかってるよ、エプシロン」「わかってるよ、ゲジヒト」と独り言をつぶやき、最後に「地球が壊れる」と不気味な警告を発する。
そこで僕は考える。「完全な人間」を模したロボットが覚醒しないというのはどういうことか。完全な人間というものは、この世界を全て認識し理解しつくしている。この世界の不条理も含めて全部。だからこの世界に期待を抱くこともなく、ゆえに目覚めることを望まないのだろう。一方、僕ら人間は生まれ、そして生きていく。それはなぜか。それはきっと自分が不完全だからだ。だからこそ、何かを望み、何かを求めて、生きていくことを選ぶのだろう。アトムは、何を望み、何を求めて、何をするために覚醒したのだろうか。それは次号で明らかにされる。
巻末に「第8集(最終巻)は2009年6月発売予定!!!!!!」の文字が。予想よりも早いペースの刊行、完結であり、確かに「!」を6回重ねる価値はあるかもしれない。