無敵について〜『砂漠の惑星』

スタニスワフ・レム三部作の最後の作品。

6年前に消息をたった宇宙巡洋艦コンドル号捜索のため<砂漠の惑星>におりたった無敵号が発見したのは…というストーリー。ネタバレになるので詳細は描かないが、ここでもレムは我々の想像を絶する地平を切り拓く。

重要なことは、単に人間に似ているような生物を探し出すことでもなければ、そのような生物の存在だけを理解することでもない。さらに人間に関係のないようなことがらには干渉しないという心の広さが必要なのだ。干渉したところで、得るものは何もない。当たり前の話だ……現実に存在しているものに対して攻撃を加えてはいけない。数百万年のあいだに、自然法則以外の何ものにも支配されない独自の安定状態をつくり出して活動している存在に対して、攻撃を加えてはならない。それらの存在は、われわれが動物あるいは人間と呼んでいる蛋白質的化合物の存在に較べて、決して優るものではないにしても、しかし、決して劣るものでもないのだ。

「無敵号」は、あらゆる英知とさまざまな武器を繰り出して惑星に対峙し、最終的には何が本当に「無敵」なのか明らかになる。途中の戦闘シーン(そう呼んでよければ)は、浦沢直樹の『PLUTO』の「史上最強のロボット」の壮絶な死闘を思わせるくらいの迫力。この本のタイトルは正確には『無敵』だが、文字通り「無敵」について書いた作品なのだ。その意味ではどこかしら俗っぽさを感じさせる『砂漠の惑星』ではなく、原題通り『無敵』として欲しかった。

終盤近く、ある人物の独白を借りてレムは主張する。

この宇宙のすべてがわれわれ人間のために存在しているように考えるのはまちがいだ。

目的という点についてもそうだが、認識という点においても、宇宙はわれわれ人間のために存在しているわけではないというのがレムの主張だ。もちろん医学・哲学・理論生物学を極めたレムが、安易な不可知論や神秘主義、反科学主義・反知性主義に身を寄せることはない。だが、この宇宙のすべてを人間の持つ論理で説明して解決できるというある種の楽観主義を戒めているのは間違いない。