義体は「五体不満足」の夢を見るか〜GUNSLINGER GIRL(6)

GUNSLINGER GIRL 6

GUNSLINGER GIRL 6

"GUNSLINGER GIRL"の第6巻の冒頭、リコは自分の手足が無くなっているという悪夢を見てうなされる。夢から醒めても、しばらくはその不気味な感覚に囚われている。このシーンは象徴的だ。実際には、手足が無くなっているのは夢でもなんでもなく、義体として肉体改造を施された彼女の現実であり、普段の生活でそれを意識しないのは「条件付け」と称される薬物による「洗脳」を受けているからだ。

リコに限らず、「福祉公社」なる組織の兵器として暗殺任務に従事している少女たちの真実は、「条件付け」により当人には隠蔽されている。そのため、任務の遂行に充実感を覚えたり、<兄妹=フラテッロ>と名付けられる関係にある上官に対して恋愛感情を抱いたりということが起こる。ときに同じ境遇の少女同士で心を通わせるように見えることもあるが、その<心>が「条件付け」の産物である以上、それを純粋な「友情」とは呼べるかどうか微妙なところが、またこの作品を哀しいものにしている。

第6巻は、義体を操る側の<兄=フラテッロ>であるジャンとジョゼの兄弟の「原罪」を描き出すように始まるが、読者の期待を裏切って新キャラクターが投入される(個人的には、新キャラクターに逃げることなく、既存の登場人物でストーリーを完結させる道に進んで欲しかったが)。今回の義体(ペトリューシュカ)は、第二世代ということで「条件付け」は相当マイルドにされている。それゆえ、改造を施される以前の記憶が、断片的ながらも残っている。ストレッチをする習慣や、舞台用のメイクをする技術などだ。

だが、これはきっと伏線に過ぎない。

何かの拍子に、フラッシュバックのように、より根源的な記憶が蘇ってくることが予想される。そのときには、条件付けされる前の人格の一部が表出するに違いない。その人格が頭を覗かせるとき、洗脳により自分が置かれている境遇に対してどのように折り合いをつけるのか、あるいはつけないのか。これは、"GUNSLINGER GIRL"という作品が描くべきテーマの一つだろうと思う。新キャラクターの投入によりそのあたりがはっきりと描かれるのかどうか見守っていきたい。

さて、"GUNSLINGER GIRL"は、これからどこへ行くのか。個人的に予想すると、主人公であり、最低限の条件付けしかされていないヘンリエッタは、公社の役割を冷徹に遂行しきれていないジョゼの手によって、暗殺任務から解放され、本来の彼女自身として生き残るという可能性が与えられるだろう。「最低限の条件付け」というのは、恐らくは生き残りフラグだ。

そのラストで、条件付けから解放されたヘンリエッタが、それでもジョゼを一人の男性として尊敬し、感謝の念すら示す、という展開になるという可能性はなくはない。これはおたくの夢であり、たとえジョゼがそこでヘンリエッタに看取られて死んだとしても、ある種の「ハッピーエンディング」だと思う。徹頭徹尾「妹萌え」にとって都合のいいお話だったということになろう。

しかし、その内面の苦悩にもかかわらず、ジョゼが加担した人体改造・洗脳という行為は、法的・倫理的に容認されるものではない。最終的には、彼の行為に対しては鉄槌が下されるというのが、物語的な「バランス」というものであろう。

では、どのような「鉄槌」が最も効果的か。これはフィクションの世界なので、法による裁きなどという退屈なものが求められているわけではない。それならば、最もドラマチックで、ジョゼにとって「痛恨の一撃」となる鉄槌は何か。それは、ヘンリエッタの「軽蔑」ではないかと思う。たとえば、条件付けが解けたヘンリエッタが、自分を助けようとして身を投げ出すジョゼに対して「気持ち悪い」と吐き出すようにつぶやく*1。本来、少女にとって、中年男性なんてそんなものだ。恋愛感情めいたもののように見えたものは、所詮「条件付け」の産物にすぎないのだ。

ジョゼはその残酷な事実を突きつけられ、失意のどん底に落とされ、そして絶命する。「妹萌え」の読者も、このエンディングに呆然として、現実に引き戻される…。

と、話は脱線したが、新キャラクターの投入により「義体」を巡るストーリーがどこに収束していくのか。この巻が重要なターニングポイントとなるはずだ。

(追記)
このエントリーを書き上げた後で、"GUNSLINGER GIRL"のキーワードを辿って他のはてなユーザーのブロクを徘徊していたところ、冷静な考察をしているエントリーを見つけた。どちらかというと自分用メモとして。

2006-01-10 - BLUE ON BLUE(XPD SIDE)跡地

*1:何かの映画のエンディングと同じだと思った方、その通りです