「ガンスリンガー・ガール」は確かに問題作である

朝日新聞の「週刊コミック・ジャック」で藤本由香里が"GUNSLINGER GIRL"を取り上げている。以下全文を掲載。

問題作である。人によっては「胸が悪くなる」というかもしれない。
舞台は、近未来のイタリアに設定された「公益法人社会福祉公社」。表向きは政府主催の身体障害者支援事業だが、実態は、なんらかの事情で半死半生の大けがを負った少女たちの身体を機械でおきかえ、テロリストの暗殺など政府の非合法活動に従事させている団体である。少女たちはそれまでの記憶を消され、「条件付け」と呼ばれる洗脳によって、人を殺すことに罪の意識をもたず、男性の担当官に絶対的な忠誠と愛着を持つよう仕向けられている(少女と担当官の間に性的関係はない)。
「条件付け」と鎮痛のための薬は少女たちの寿命を確実に縮め、ときには記憶障害を引き起こす。しかし少女たちは、人殺しが日常の世界を淡々と生き、彼女たちを教育する担当官との間には人間的な「約束」や交流が生まれたりもする。
「少女たちに与えられたのは、大きな銃と小さな幸せ」
もちろん、とんでもない話である。だが少女たちは、あるいは人身売買によって「殺人ビデオ」に出演させられた犠牲者であり、親に轢き殺されかけた子供であったりする。それが命を取り留め、つらい記憶は消され、彼女たちの「殺人」によってテロは未然に防がれ、彼女たちの身体のデータは、障害者のためのよりよい義手・義足の開発に役立てられる。
つまり、この物語は私たちを試す。大きな矛盾には目をつぶって、せめてできることに縋すがる。けれど残る違和感と罪の意識。あなたはどんな審判を下すだろうか。

よりによって朝日新聞にこれを書くかね、というのを別にすれば総じてフェアな書評である。いまさら藤本由香里に言われるまでもなく、"GUNSLINGER GIRL"は問題作だ。それは、不謹慎だとか不道徳だとかそういう意味で問題作なのではない。「人間とは何か」という根源的な問いかけを行っている作品という意味で問題作なのだ。

"GUNSLINGER GIRL"という作品に関する私の意見(というか期待)は、過去のエントリを読んでください。

義体は「五体不満足」の夢を見るか〜GUNSLINGER GIRL(6) - Sharpのアンシャープ日記
義体にとって死とは何か〜『GUNSLINGER GIRL(9)』 - Sharpのアンシャープ日記