「命がけの飛躍」について

商品が売れる。
言葉が理解される。
人間が受け容れられる。

これらはすべて「命がけの飛躍」だ。どの行為も<他者>との関わりが必要だけれども、そこであらかじめ了解されているものなんか何もない。

商品が売れなかったり、言葉が理解されなかったり、人間が受け容れられなかったり。そういう方が当たり前だ。

それを恐れて、僕らはしばしば<自己>の中にとどまり続けようとする。そこには何のリスクもない。傷つくこともない。でも、その代わりに何かを得ることもできない。何かを得ようと思ったら、やっぱり<他者>に向かって命をかけて飛躍しなくてはいけない。

結局、僕らが価値や意味や存在意義なしには生きられないとすれば、何かを売ったり、言葉を発したり、誰かに理解してもらうとしたりする。そうやって「命がけの飛躍」を続けていくしかないのだろう。

そして、飛んだ先で誰かが受け止めてくれるとしたら、それは本当に幸せなことだ。その幸せに僕は感謝して日々を送ろうと思う。