『阿修羅のごとく』と言えばNHKドラマ版の挿入歌のトルコ音楽。
メフテルの「ジェッディン・デデン」という曲というのを知ったのはだいぶ後のこと。
ドラマのクライマックスで突然流れる演出はしばしば「怖い」と感じさせるほどドラマティックで、いまにして思えば「なぜトルコ?」なのだが、放送された1979年・1980年前後はテレビではドラマ『西遊記』や『シルクロード』、音楽では『飛んでイスタンブール』や『魅せられて』や『異邦人』など、円高と経済成長で海外に目を向ける余裕ができた日本の世相を反映して、中東・地中海ブームに乗ってで、和田勉が現地で収集してきたのを使ったらしい。
のちに向田邦子の原作を読んだ感じでは、そこまでドラマティックという感じでもなく、ましてやエキゾチックでもなく、「だって人間だもの」(人間を男や女に置き換えてもOK)という「業」というか、「正しさや理性だけでは割り切れない人間のおかしさ・おろかさ・愛おしさ」のようなものを描いていると感じた。
この作品はその後も何度か映画や舞台でリメイクされているが、今回、是枝裕和監督が満を持してNetflixでリメイク版を製作。
トルコ音楽が使われていないことに物足りなさを感じつつ観始めたが、観ていくほどにぐいぐいと引き込まれて、結局全7話を一気見してしまった。
時代を現代に変えると成立しにくいプロットが多々あるため、昭和のままで描かれているがこれがもうロケも小道具もすべてが濃厚。
俳優の演技もみな昭和を感じさせるものだったが、四姉妹で言えば蒼井優の演技がいしだあゆみを完コピしたうえでオリジナリティを加えているようで文句の付けようがなかった。
また本木雅弘は、本当に昭和から抜け出してきたような演技と佇まいで、役作りのレベルの高さを感じずにはいられなかった。
令和の時代になっていろいろなコンテンツに「ポリコレ」が適用されてしまったことで描けないものも増えた。
向田邦子が描いた「人間の業」のようなものも、現代の観点では「不適切」「不謹慎」などという指摘を受けかねないものがあるかもしれない。
しかしながら、本当の人間というものは、そのようなタテマエやキレイゴトだけで生きてはいけない。
それがこの四姉妹とその家族を巡る生き様で示されているかのよう。
是枝裕和監督のリメイクの意図がどこにあるのかは分からないが、「昭和は不適切だったのか」という問いかけのように思えた。