映画にとってリアリティとは何か〜『15時17分、パリ行き』(2018年、アメリカ、クリント・イーストウッド監督)

88歳となってもなお創作欲とアイデアの衰えないクリント・イーストウッド

この作品では、ヨーロッパの列車内で起きた実在のテロ事件を映画化。

アラブ系のテロリストが大量殺戮を図ったのに対して、たまたま乗り合わせたアメリカ人3人が一致団結して対処したというもの。

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タイトルから想像されるサスペンス映画・アクション映画ではなくて、登場人物の少年時代を描いたり、欧州旅行での楽しい時間を描いたり、イーストウッドは只者ではない。

この映画の最大の見所は、その主役3人を俳優ではなく、当人自身が演じているというところ。

映画的な”演出”を期待すると、”素人”による自然な演技は物足りなく感じるかもしれないが、それこそが実は”リアリティ”だったりする。

「作品にとってリアリティとは何か」って、簡単なようでいて、複雑な問題で、例えば日本のアニメ映画でもジブリがプロの声優を避けたりするのは「リアリティ」の追求だったりするんだろう。

それにも通じるような、イーストウッド監督の”本人起用”。


率直に言って、功罪は相半ばするというか、やはりプロの「分かりやすい」「感情移入を誘う」演技が欲しいところもあったけれども、そういう装飾を徹底的に排するのが、監督に意図だったんだろうと思う。

彼くらいのキャリアになれば、映画的な手垢のついた演出にはうんざりしているということもあるだろうし、ハリウッド的な「映え」のある手法で反テロを描きたくないという政治的スタンスもあるのかもしれない。


事前の想像とは全く違う味わいの作品だったが、イーストウッドの気骨とか挑戦がうかがえる作品だった。