一つの結果論だが―「世紀の空売り―世界経済の破綻に賭けた男たち」

「それでも地球は回っている」とコペルニクスが呟いたという証拠はないが、周囲が全て天動説を唱えているときに、一人で地動説を唱えていても社会的に成功することは難しい。

だが、周囲が全て「証券化によって債権を分散すればリスクは小さくなる」と唱えているときに、「そんな商品は崩壊する」という信念に基づき投資を行って社会的な成功を勝ち得たプレーヤーがいた。

コペルニクスのように事実を観測し、理論を組み立て、サブプライムローンの市場が崩壊することを予想したわけだ。本書はそうしたプレーヤーを丹念に取材し、事件を再構築したマイケル・ルイスの労作である。

「理屈に合わないことは長続きすることはないので反対のポジションを取る」というのは、ヘッジファンドのような資金運用者の常套手段。だが、上手くいくとは限らない。思わぬ伏兵があちこちに潜んでいる。突然のルールの変更であったり、外国からのプレッシャーであったり、審判(政府当局)による介入であったり。

2007年から2008年にかけて、サブプライムローンのマーケットは崩壊し、リーマン・ブラザーズはつぶれ、「リーマンショック」という不名誉な形で名前を残すことになった。だが、そうならなかった可能性もある。もし、政府が適切に問題を把握し、ハードランディング以外の手段で調整を試みていたら、あるいは、もし、このマーケットの空売り自体を無効化するようなルールを作っていたら、この本の主人公達は「名もなき敗者」として市場から退出していたに違いない。

だから、これは歴史が選択した一つの可能性としての「事実」を起点とする「結果論」に過ぎない。このような戦略が常に他のプレーヤーを打ちのめすとは限らない。

しかし、世の中が楽観論に浮かれているときに、悲観論に基づく戦略を練ることの重要性を本書は教えてくれる。過剰流動性の供給が続く中で、どこかの市場でバブルが起きるのは不可避だ。「サブプライムローン」の次は「資源」、その次はまた「ネット企業」に向かうかもしれない。

バブルは場所を変えるだけで決して消えることはない。つまり「今日もどこかでバブルマン」というわけだが、バブルマンが日本に来るのはいつの日になるだろうか。アベノミクスに関しては、残念ながら楽観論に浮かれるようなレベルで人々の期待を変えるに至っていない(足元の消費税率の引上げもそのような評価を決定付けつつある)。

従って、何かを空売りすることで儲ける機会の到来はまだ時間がかかりそうだが、来るべき日に備えて、ゼロ年代のアメリカで起きた事実を整理しておくことは決して無駄にはならないだろう。

世紀の空売り 世界経済の破綻に賭けた男たち (文春文庫)

世紀の空売り 世界経済の破綻に賭けた男たち (文春文庫)