ジャンプは文化〜『「少年ジャンプ」資本主義』

三ツ谷誠『「少年ジャンプ」資本主義』を読んだ。

「少年ジャンプ」資本主義

「少年ジャンプ」資本主義

かつてマックス・ウェーバーは言った。プロテスタンティズムが資本主義を生んだと。いま三ツ谷誠は言う。「友情」「努力」「勝利」というジャンプイズムが日本の戦後資本主義を支えたと。いや、正確にはそういう言い方はしていないけれども、少年ジャンプの歴史が日本の戦後の経済史と高い相関を持って発展していると言う。

要約すると『男一匹ガキ大将』・『アストロ球団』といった高度成長から始まり、『リングにかけろ』・『北斗の拳』・『ドラゴンボール』で頂点を極め、バブル崩壊で価値観が混迷する中『ONE PIECE』で新たな「連帯」を目指す、といった流れ。いや、かなり乱暴だれけども。

なるほど、その通りだとうなずかされる。ただ、こうして見ると、著者の取り上げる作品が王道路線に集中しているようにも思う。たとえば、ゼロ年代を代表する作品として『ONE PIECE』ではなく『DEATH NOTE』を取り上げることも可能だろう。そして、僕ならそうすると思う。なぜなら、混迷する社会の中で、他人に本音を示すことなく自らの独善的な正義を容赦なく実行することによって、理想の社会を実現しようとするライトの姿こそ、ゼロ年代の世界を象徴していると思うから。

…と、まあこれは脱線。ともかく、少年ジャンプの歴史は日本の経済の歴史とパラレルな関係にあることを、著者はこの本で立証している。それは少なからず著者自身の生き方とも重なる部分があるのだろう。「下部構造は上部構造を規定する」というマルクスの言葉を引くまでもなく、僕らの文化は僕らの経済を写し出す鏡だ。少年ジャンプが資本主義の文化に他ならないということを、三ツ谷誠はこの著書で鮮やかに示した。

さらに、この本を読むと、自分のジャンプ論を誰かと戦わせたくなる。そういう「触媒」としての魅力も持っている本だと思う。