村上春樹の『1Q84』で何度も引用されるチェーホフの『サハリン島』を読んだ。いくつかの出版社から出ているが、以前読んだ中央公論新社の『チェーホフ全集』所収のもの。訳は原卓也。
- 作者: チェーホフ,Anton Pavlovich Chekhov,原卓也
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2009/07
- メディア: 単行本
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これを読めば、サハリン島がどのようなところなのか、どういう人がどういう生活をしているのかはよく分かる。チェーホフの記録は、まるでフィールドワークのように克明だからだ。
だが、チェーホフが何を求めて極東のサハリンに行ったのか、そこで何を感じたのかはまるで分からない。特に文学的な成果があったのか、あるいは政治的な信条への影響があったのか、肝心なことは何も読み取れない。
文中では、ギリヤーク人の生活が描写される。だが、その生活がかわいそうかどうかもよく分からない。チェーホフはあくまで客観的な記録を優先させており、彼の思いはまるで前面に出てこないのだ。これでは「かわいそうなギリヤーク人」などとはとても思えない。
結局のところ、チェーホフはサハリンで何を得たのか全く分からないが、ある種の絶望の地を訪問し、絶望が生み出す生活をつぶさに見ること自体が彼の目的だったのかもしれない。作家として生きるのであれば、切羽詰った人々の生き様を直視することは避けられないからだ(当時のロシアであれば、なおさらだろう)。ただ、サハリンの現実を目の当たりにしたチェーホフは、シベリアの現実を直視したドストエフスキーのように先鋭的にはならなかった。バランスのとれた、実にチェーホフらしい態度だと言えるだろう。