角田光代という作家を評価できない。以前、日経新聞に彼女が書いたコラムが支離滅裂であることが気になった(角田光代のコラムがおかしい件 - Sharpのアンシャープ日記)。言いたいことがわからないなかで、「最近知り合った30歳の男性」という表現ばかりが目立った。
しばらくして、彼女が芥川賞作家だった夫と離婚し、30歳くらいの音楽関係の男性と再婚していたことが明らかになった。私生活でいろいろあって混乱していたので、筋道立ったコラムが書けなかったのだろうと思ったり(これは依頼した日経にも責任がある)、やっぱり若い男性と再婚したのかと思ったり(コラムに出現した男性と再婚相手が同一かどうかは分からないけど)。
さて、『八日目の蝉』。角田光代は評価できないが、永作博美は評価している。そんな私が現在上映中の映画を観るべきか。ということで、まずは原作本を読んで見極めようと思った。個人的には、角田光代という作家の再評価のチャンスでもあった。
感想。読むべきじゃなかったという気持ちと、読んでおいてよかったという気持ちの両方が残った。
まず読むべきじゃなかったという気持ちから。人物にリアリティがない。掘り下げが足りない。感情移入できない。かといって、突き放してサスペンス的に楽しめるかといえば、プロットが杜撰でそれもできない。角田光代という人は、人間の美しさも、醜さも、尊さも、業の深さも、どれを描くこともできないのではないか―そう思わざるを得ない。
また、個人の内面に切り込むことが不得手なのであれば、社会派的な視点をもって「事件」や「時代」を描くことも一法だが、そっちも不十分。逃げてばかりのストーリーはなんなのか。宗教施設の話はなんなのか。長い割りに、無駄な話ばかりのように感じてしまう。第1部・第2部に分けて、時期と主人公を分けるのは、時流ではあるけれども、安易に乗り過ぎで、効果的に使いこなせていない。「八日目の蝉」というタイトルも思わせぶりなだけのようだし、ラストの拍子抜けといったら半端ではない。
ここまで酷評して、読んでよかったという気持ちもあるのかといえば、確かにある。それは、この作品が駄作であるということがよく分かった。それこそが最大の効能。つまり、映画館でお金や時間を使ったり、誰かを誘ったりする前に、このことを見極められてよかったと思う。
ということで、今回再評価の可能性もあったのだが、やはり角田光代を評価することできないという結論になった。もう私はこの作家の文章は読まないだろう。「読ませる」話を書く作家は他にいくらでもいるのだから、なおさらだ。
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