ミュージカルに遠く及ばない失敗作〜『キャッツ』(トム・フーパー監督、2019年、英米)

「映画」とは拡張のことである。

「写真」に対しては時間の概念を加えることにより、「演劇」に対しては多面的な観点を導入することにより、より創造性の高い表現を行うことができる。

だが、「映画」はそのような拡張性を持つがゆえに、観客への見せ方を誤ると「散漫な印象」を与えかねないという罠がある。

映画版『キャッツ』は、まさにそのような「罠」にはまった典型的な失敗作になってしまった。




ミュージカルの『キャッツ』は、T・S・エリオットに詩を元に、アンドルー・ロイド・ウェバーが曲を手がけたもので、初演は1980年代ということで、もはやミュージカルとしては「古典」の部類に属するロングラン作品。

そんな古典ではあるものの、「路地裏の猫たちという猥雑さ」「特にストーリーらしいストーリーの欠如」という特徴ゆえ、これまで映画化がされたことはなかった。

だが、昨今のミュージカル映画のヒットを受け、ついに手がつけられてしまったということになる。

監督は2012年の『レ・ミゼラブル』を手がけたトム・フーパー

俳優には名優や大物シンガーを揃え、最新技術のCGも導入、とあれば、劇場で上演されてきたミュージカルの表現を軽々と越えることが期待される。

が、公開前から賛否両論というか、評論家の罵詈雑言ばかりが聞こえてくる始末。

こうなってくると、むしろ「怖いもの見たさ」で見に行きたくなるというもの。

わざわざ通常の劇場よりも500円高い、IMAXのAV環境を選んで早速鑑賞。

その結果・・・

ミュージカル『キャッツ』を何回か見たことのある僕が、目にこの映画がどう映ったかと言えば、「ミュージカルに遠く及ばない失敗作」。


cats-movie.jp


(以下ネタバレ)


ネットでは、「ネズミとかゴキブリがキモい」とか「話の内容がない」とか「オチが猫は犬と違うってなんだ」という意見も見たが、まあ『キャッツ』とはそもそもそういうもの。

だが、ミュージカルと比べてまず決定的にダメなのが、映画ならではのカメラワークとか照明とかで「迫力」が追加されていないばかりか、それを損なっているように見えること。

役者が一生懸命歌い、踊り、演技をしているのがわかるのだが、それがかえって、制作している人の情熱とかセンスの決定的な足りなさを浮かび上がらせる。

劇場の「ライブ感」がない部分を補う要素が何もない。

手間のかかったであろうCGも、世界観に馴染んでいない。


次に受け入れがたいのは、キャラクターの改変である。


僕の好きな猫でいえば、ラム・タム・タガーのクールなセクシーさは後退し、ガスの往年の演技の迫力の見せ場はほぼなくなり、スキンブルシャンクスの「仕事一筋」な生真面目さはかすみ、ミストフェリーズが持つ天然のかわいさもなくなっていた。

この中では、ガスの昔の栄光の場面を延々と見せるのは、映画的には構成がぐちゃぐちゃになるのでそれも仕方ないが、痩せたロックスターのイメージだったラム・タム・タガーが、ガタイの良いラッパーみたいになっているし、スキンブルシャンクスはタップダンス踊りまくりの小粋な人になってるし、ミストフェリーズに至っては単なるヘタレキャラになっていて、しかもクライマックスの連続ターンもなし。

ミュージカルが好きな人ほど、観たいものが観られないというフラストレーションを感じる仕上がりになっている。


他のキャラも、女性が増えたりとか、黒人が増えたりしていて、昨今の「ポリコレ」を取り入れたものになるのはやむを得ないのかもしれないが、それにしても「そこに愛はあるのか」と問いただしたくなるレベル。

代表曲とも言える「メモリー」をソロで歌って、最後は天上に上っていくグリザベラなんかは、演技も歌も濃厚すぎるくらいに芝居がかっていた。

あれで「お涙ちょうだい」というつもりの演出なのかもしれないけれども、あんなわざとらしいものを見せられたらかえって反発とか猜疑心が先立ちそうなもの、と思ってしまった。

唯一、長老猫のオールド・デュトロノミーが品のあるおばあさんになっていた「改変」だけは良かった、というか、許せた。


ミュージカルとは違う圧巻のフィナーレを見せてくれるかと思いきや、グリザベラの乗るチープな気球を見せたり、マキャヴィティの小物感をオチにしたり、あろうことか、トラファルガー広場のライオン像の所に集合させてポージングさせたりと、映画全体のしょぼさをさらに際立たせていた。


エンドロールが始まって席を立つ人も多数。僕のその中の一人。

自分としては本当に珍しいことのだけれども、どうにもいたたまれない空気から逃げ出したくなったというのが本音。


「名作」でも「カルト的な珍作」でもなく、単にクオリティの低い「失敗作」。


これ観るのなら、ミュージカルを映像にした1998年の映像作品を観た方が幸せになれるよ。


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第49回 アイマックス撮影会@ Studio Debbie's

先月に続いて二度目のアイマックス撮影会。

今回は西麻布のStudio Debbie'sでの開催。

青山裕企さんの「髪は短し 恋せよ乙女」でも有名なリリバリの沢村りさちゃんを撮れるということで、0部から3部まで参加した。

自然光を使いたいので、屋上での撮影を多め。

雨上がりということで、「ここぞ」とばかりに傘ショットを多めに撮った。

沢村りさちゃん(JK1)

制服が似合うまりもちゃん。

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メンバーカラーの緑を採り入れた私服。

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こういうの撮りたかった!という一枚。

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尾野寺みさちゃん(JK2)

ロケーションに合わせた表情が素敵。

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堀川すずちゃん(JC2)

制服似合いすぎ。

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前回よりも距離が縮まっていたらいいな。

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長原楓ちゃん(JC2)

3ビーナで撮って以来のかえぽっぽ。名前を覚えていてくれて感動。

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制服着ると完全に優等生の佇まい。

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箱入り娘感。

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虹色の傘よりも映えるかえぽっぽ。

また撮りたいな。

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今泉まおちゃん(JC2)

プロポーションの良さを引き立てる私服が素敵。

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放課後どこに行く?

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君は綺麗だ。

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咲羽ひなりちゃん(JC2)

初の撮影会だったけど、親しみやすい雰囲気の中で撮影できた。

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山坂あやねちゃん(JS5)

あやねちゃんも初撮影会。どこから見てもピュア。ピュア。

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今回はこの7名。正直「もっと撮りたい」と思ってしまった。

集合ショット

尾野寺みさちゃん&堀川すずちゃん。

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アイドルオーラが凄い二人。

そこに沢村りさちゃんと山坂あやねちゃんが合流。

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なんというか「ファミリー感」というか、「大阪発アイドル」のカラーで統一されている感じ。

最近どんどん撮影が楽しくなってるんだけど、ポートレートの場合、機材にお金かけるよりも、撮りたいモデルを撮るのにお金をかけた方がいいよね。


※本記事に掲載されている画像は、株式会社アイマックスおよび所属事務所の許諾を受け掲載しています。株式会社アイマックスに無断で転用・複製することを禁止します。

※ただしイケメンに限る〜『ラストレター』(岩井俊二監督、2020年)

小沢健二が2020年にリリースした新曲『彗星』は、1995年の冬の回顧するところから始まる。

1995年冬は長くって寒くて
心凍えそうだったよね

僕にとって、1995年の冬といえば、岩井俊二の初の長編監督作品『Love Letter』。

同姓同名の「藤井樹」の間で奇妙な文通が始めるという設定で、主人公の中山美穂豊川悦司の好演はもちろん、若い頃を演じた柏原崇酒井美紀の「思春期」の魅力があふれていた作品だった(この二人は翌年のテレビドラマ『白線流し』にもキャスティングされるに至った)。

岩井俊二はその後、『スワロウテイル』、『四月物語』 、『リリイ・シュシュのすべて 』、『花とアリス』などの傑作を世に出す。

その世界観を描く映像は美しく、特に『花とアリス』の蒼井優がバレエを舞うシーンの美しさは、これまでの邦画のトップクラス。

あの作品を生み出すのには、撮影監督の篠田昇の貢献が大きかったと言っても過言ではない。

2004年、篠田昇が亡くなると、岩井はそれまでとは作品との関わり方のアプローチを変えていく。

プロデュースを主体にしたり、アメリカに移住してハリウッド映画を作ったり、ロトスコープを用いたアニメ作品を作ったり。

ファンの目から見ると、「一線を退くつもりなのか」「もうパッションがなくなったのか」というように見えてやきもきしていた時期が長かった。

そんな岩井がまさに日本映画界のど真ん中に帰ってきた。

そう、小沢健二が歌った「彗星」のように。

この彗星が巡る周期は25年なのかどうか、そんなことはどうでもいい。

小沢健二は、長男を表に出して「父性愛」という新しい面をチラチラ見せながら帰ってきた。

では、岩井俊二はどういう顔で帰ってきたのか。





(以下、ネタバレあり)



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『ラストレター』の主人公の裕里(松たか子)は、子持ちの主婦で、ダンナとは倦怠期にあり、しかも義母の介護の負担までちらついている。

同じ高校を卒業した鏡史郎(福山雅治)は、デビュー作で賞を受賞したがその後鳴かず飛ばずの中年の小説家で独身。

裕里の姉である未咲が亡くなり、この二人が高校の同窓会で数十年ぶりに「再開」するところから物語が始まる。

この設定だけを見れば、「恋は遠い日の花火ではない」という今なおお盛んな中年男女に向けたベタなマーケティング主導の作品に見えなくもない。

だが、裕里の姉である未咲と鏡史郎との間に、奇妙な「文通」が始まるところから、岩井俊二の個性とも言えるロマンティシズムが全開になっていく。


1995年ならともかく、2020年のスマホ時代に「文通」というのも無理があるようであるが、そこはうまく「設定」で工夫していて違和感が小さい。

この文通における「未咲」のゴーストライターは最初は裕里だけであったが、ひょんなきっかけで未咲の娘である鮎美(広瀬すず)も加わっていく。そのやりとりを裕里の娘である颯香(森七菜)も眺めている。

言葉にしてみるとかなり無理がある設定なのだけれども、俳優陣のルックスと手紙朗読の声の魅力によって、まるで魔法がかかったように生々しいほどのリアリティを伴って物語が展開される。

これが映画のチカラ。

そして岩井俊二のマジック。

手紙をやりとりしていく中で、亡くなった未咲を巡る青春時代の想いが蘇ってく。

高校時代の未咲(広瀬すず)、裕里(森七菜)、鏡史郎(神木隆之介)それぞれの想いが交錯する中で、当時も「文通」をしていたこと、卒業式の挨拶文を一緒に書き上げたこと、裕里が鏡史郎に片想いをしていたことなどなど。

この作品のクライマックスは、小説を書くことへの情熱を失いかけている鏡史郎が、自分がかつて好きだった子の娘である鮎美と、自分をかつて好きだった子の颯香と出会って、亡くなった未咲を「媒介」にして心を通わせ、自己肯定感を取り戻していくところにある。

普通であれば、アラフィフの独身男性が女子中学生たちと交流するとかファンタジーの中のファンタジーでしかない。

場合によっては「犯罪」として通報される事案である。

客観的に見れば相当に気持ち悪いこの状況が物語の中心に据えられていても、感動的なものに思えてしまうのは、鏡史郎を演じる福山雅治の俳優としての力量によるところが大きい。

全ては「※ただしイケメンに限る」である。

俳優について触れるとすれば、岩井俊二監督作品では『四月物語』以来再び主人公を演じる松たか子の「人間臭さ」と「清潔さ」が高い次元でブレンドしているのが素晴らしい。

演技も「虚実ない交ぜ」になっているキャラクターを微妙に渡り歩くあたりに「うまさ」「ずるさ」「強さ」を感じさせるはまり役。

少女役で言えば、広瀬すずは今や日本映画を代表する若手女優だけあって、凛とした美しさでの存在感は圧倒的。

終盤、突如饒舌になって、中年の鏡史郎に対して「もっと早く会いたかった」というあたりは、ちょっと芝居がうますぎるというか、ベテラン女優の風格をも漂わせていた。

岩井俊二映画の少女」という観点では、若き日の裕香と現在の颯香を演じた森七菜の持つ「純粋さ」「原石の魅力」がスクリーンからあふれていた。

ちょうど『Love Letter』の頃の酒井美紀を彷彿とさせると感じたが、監督自身も同じだったであろう。

岩井俊二監督自身が森七菜から相当のインスパイアを得ていたり、情熱を注いだであろうことがまる分かり。



高校時代から好きだった人を愛し続け、その人を作品した小説で賞を受賞。

その後も誰かと家庭を設けることはなく一途な気持ちを持ち続け、時をへて、その女性の娘と会って心を通わせ合う。

言葉で書くと本当に気持ち悪さしかないと自分でも思ってしまうけれども、悲しいけど、これが中年独身男性の「理想」なのよね。

もちろん、それが「理想」であり「ファンタジー」であることは十分にわきまえた上で言うけれども、「帰ってきた岩井俊二」は森七菜という素晴らしい俳優を得て美しい青春映画(*)を作ったものだと思う。

(※ただしイケメンに限る



今回、少し残念だったのは映像。

ドローンカメラの使用などで新しいアプローチ開拓に余念がないのはいいところだが、かつての篠田昇の圧巻の映像美には及ばず。

もう少し「魔法がかかれば」と感じたシーンがいくつかあった。

逆光のハレーションとか、ソフトフォーカスとかが足りないというべきか。

これは僕だけのノスタルジィなのかもだけど。


あと、さらに野暮を承知でもう一つだけ。

TOHOシネマズ日比谷はキャパ500人規模のスクリーンを用意していたが、封切り4日目にして100人いるかいないかのガラガラ。

もちろん、映画の評価は動員数で決まるものでもない。

作品が「見て欲しい人」「届いて欲しい人」に届くことの方がよっぽど大事というのは、この作品のテーマにも重なるところがあるけれども、それにしても大規模な製作委員会の割には、という印象は拭えない。