決断主義者は考察しない―『ハート・ロッカー』

2010年3月7日、『ハート・ロッカー』がアカデミー賞作品賞を受賞。
2011年10月21日、オバマ大統領がイラクからの完全撤退を表明。

イラクとアメリカ。この『ハート・ロッカー』はイラクにおけるアメリカの「功罪」についてほとんど何も語らない。「功」についても、「罪」についても。だが、アカデミー賞を受賞した際のキャスリン・ビグロー監督のスピーチを知れば、彼女の真の意図は明確だ。

私は、これをイランやアフガニスタンや世界の各地で、日々、命がけで軍隊に従事しているすべての女性と男性に捧げたいと思います。彼らが無事に帰国できますように。サンキュー。

にもかかわらず、『ハート・ロッカー』の映画の中では、製作者の政治的な主張は巧妙に隠蔽されている。「爆発物を処理する」という主人公のプロ意識がややグロテスクに誇張されて描かれるだけで、時系列的な意義も、活動全体における位置付けも、全く示されない。構造的に説明するのが不得手なのではないかという見方もあるが、たぶん違うだろう。監督は、この作品の立ち位置を明確にすることをあえて意図的に避けたのだ。

だから、一つ一つのミッションの遂行はやたらリアルに臨場感をもつのに、全体のシークエンスがどこに向かうのかさっぱり分からない。この人たちは正しいことをしているのか、それとも間違ったことをしているのか。事態は解決に向かっているのか、それとも混乱を増しているのか。映画の時間が経過してもまるで見えてこないのだ。この映画が語るのは「命をかけてこの仕事をしている男がいる」「そうしなくては生きていけないプロがいる」という小さな物語である。

こういう作品にアカデミー賞が与えられるのを見ると、アメリカが自身のイラクでの活動をどう評価していたかが想像できる。「ベトナム」のときとは違い、自省的な姿勢はないのだ。「どうしてこうなった」「これは正しいのか」というようなことを考察することなく、「とにかくやるしかない」という行動主義。あるいは決断主義

これを鑑賞する僕ら日本人は当事者ではないのだから、もっと冷静に、客観的に、イラクにおけるアメリカの役割の「功罪」を考えてもいいだろう。明らかに混乱している主人公に過度に感情移入する必要もない。意図的に全体感を欠如させている作品を「それがリアルだ」と褒める必要もない。まして「『アバター』を押しのけてアカデミー賞を受賞した傑作」として持ち上げる必要もない。もっとも、『アバター』という作品の持つ思想の方も、僕には「いい加減にしてくれ」としか思えなかったが…

「決断しなければ死んでしまう」という点においてこの決断主義者の映画は結果的にアメリカ肯定映画となっている。作り手があえて考察しないのは彼女らの戦略だが、無批判にこれを受け入れるわけにはいかない。

最後に蛇足。もっとも疑問なのは『ハート・ロッカー』という邦題だ。これを聞いた日本人はほとんど「Heart Rocker」か「Heart Locker」かいずれかを想像するだろう。もしかしたら「Hurt Rocker」かもしれないと思う人もいるかもしれない。残念。正解は「Hurt Locker」でした…って分かるかそんなもん。ましてその意味など想像もできない。「苦痛にさらされる場所」という俗語だということだが、であれば、その意味するところをきちんと調べて、適切な日本語に置換えるのがプロの仕事というもの。この作品にアカデミー賞を与えるアメリカ人も駄目だが、カタカナ読みにして邦題を垂れ流す日本人も駄目だな、と思った。

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