人生とは不条理なもの―『ミスティックリバー』

ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか
(『予測可能性』エドワード・ローレンツ)

ほんの些細な違いが、将来に決定的な違いをもたらすことがある。ジミー、デイブ、ショーンの3人組が遊んでいるとき、不審車で来た2人連れは、デイブだけを車に乗せて静かに走り去った。もしデイブが車に乗っていなかったら、デイブのその後の人生は全く別のものになっていただろう。もしジミーやショーンが車に乗っていたら、彼らの人生も劇的に変わってしまったに違いない。

だが、実際にはデイブが車に乗り、暴行の被害を受け、それゆえ彼の人格は歪んでしまった。そのことが原因で彼は後に別の事件に巻き込まれることになる…

少年時代からの「友人」である3人の男性が大人になったことを描いたこの作品は、クリント・イーストウッドのその他の作品と同じように、アメリカの不正義や、警察の無能や、人生の不条理を描く。「なぜ俺がこんな目にあわなくてはいけないのだ」と。もちろん「そんな目にあわなくてはいけない」合理的な理由などない。この不条理に翻弄される人を描くことが、この作品の主題ではないかとさえ思える。鑑賞後も、どうしようもないやるせない気持ちが残る。

個人的に「C・イーストウッド強化月間」ということで鑑賞した2003年の『ミスティックリバー』。かつて幼馴染だった3名の男達を演じるのは、ショーン・ペンティム・ロビンスケビン・ベーコンという大御所だが、キャスティングとしてちょっと年齢が高すぎる気がする。

そして、静謐で暗喩に満ちた画面は、イーストウッド監督作品に共通したものだが、後年の『チェンジリング』や『グラン・トリノ』のような神がかったオーラをまとうには至っていない。彼が真の意味で映画の神に愛されるのは、この作品よりも後のことなのかもしれない。