解散するということ〜小山田と小沢

もう古い話だし、何度もBlogにもエントリーしているし、結局のところ真相なんてわかりっこないのだけれど、最近またフリッパーズ周辺の音楽をよく聴くようになって解散後の小山田と小沢の音楽についていろいろと思いをめぐらすことが多くなった。とりとめがなくなることはわかっているのだけれど、書き留めておく。

1991年10月 フリッパーズギター解散。
1993年3月 小山田圭吾が「コーネリアス」を名乗りシングル『太陽は僕の敵』でソロ活動開始。
1993年7月 小沢健二がシングル『天気読み』でソロ活動開始。

小山田のソロデビュー曲は、フリッパーズ時代と同じくスタイルカウンシルをリスペクトし、歌詞は「意味なんてどこにもないさ」という偽悪的なポーズで本音を隠し、まさにフリッパーズギターの世界を小山田が一人で作り出したものだった。

一方の小沢のデビュー曲は、フリッパーズ時代にはほとんど見せなかったR&B路線を打ち出し*1スティーヴィー・ワンダーをリスペクトした楽曲に「ねえ本当は何か本当があるはず」という歌詞を載せ、スマートさを捨てて愚直なまでの泥臭さを漂わせていた。

小山田もその後は「一人フリッパーズ」をやめて独自の路線を追求していくことになるのだが、解散直後に「自分一人でもフリッパーズはできるんだ」ということを示さずにはいられなかった小山田のスタンスと、フリッパーズからあえて遠く離れて「非フリッパーズ的な世界」を追い求めていった小沢のスタンスの対比は、いま聴いても興味深い。

「相方がいなくても同じ音楽を作り出せる」ことを誇示した小山田。
「相方とやってきた音楽だけが自分の音楽じゃない」ことを主張した小沢。

解散後の短くないブランクは、両者ともに相方の不在を受け止めるのが重すぎたことを思わせる。そして、スタンスの違いこそあれ、自力で踏み出した一歩は、フリッパーズの呪縛から完全に自由ではありえなかったことを示している(小沢の場合は逆説的だが)。



…やっぱりうまくまとまらないので、『太陽は僕の敵』から気に入っているフレーズを引用。

他人の言葉つなぎ合わせて
イメージだけに加速度つけ話すだろう

全てのスキマに狙い合わせて
ミクロな視線研ぎすまし話すだろう

そう。僕らのやっていることはそんなもんだ、きっと。

*1:ただ、スタイルカウンシル自体がR&Bのテイストも含んでいると言われるとその通りだが