岡村ちゃん…〜「純粋な不道徳さ」が生んだ逆境〜

どぉなっちゃんてんだよ

…というかTV出演のときから挙動不審ではあったけれど。

岡村靖幸容疑者を逮捕=ミュージシャン、覚せい剤使用で−警視庁

 ミュージシャンの岡村靖幸容疑者(39)が、覚せい剤を使ったとして、覚せい剤取締法違反容疑で警視庁渋谷署に逮捕されていたことが16日、分かった。同容疑者は既に同法違反罪で起訴されている。
 調べによると、岡村容疑者は4月上旬、渋谷区内の路上で同署員の職務質問を受けた。その際の尿検査で陽性反応が出たため、5月20日に逮捕されたという。 
(時事通信) - 7月17日

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岡村ちゃんは、彼の「盟友」とは異なる。10代、20代のときのように若さを武器にできなくなったとき、吉川晃司のようにバラエティ番組に出演してでも自分をアピールする図太さもなければ、尾崎豊のように死へ向かう覚悟もないように見える。

しかし、それがまさに岡村ちゃんなのだ。

岡村ワールドとは、規則や倫理に縛られる状態から抜け出そうとする衝動・欲望に真骨頂があった。それはときに「無謀」であったり「不道徳」であったりするわけだが、そういうしがらみを破って突き進んでいこうとする彼の強さ。そして、ときに突き進みたいのに進めないというためらいを曝け出す弱さ。「世間」との距離を測りあぐね、強さと弱さの間を振り子のように揺れ動く姿こそ、岡村靖幸に他ならない。吉川晃司でも尾崎豊でもないところに彼がいるからこそ、ここまでの共感を呼んだのだと思う。

しかし、岡村ワールドにいつまでも留まり続けるわけにはいかなかったのが、今日の彼の逆境の始まりだ*1

まず、人は誰でも年をとる。かつて『聖書(バイブル)』の中で「35の中年」と岡村ちゃん自身が揶揄していた年齢を、とうに彼は過ぎてしまった。もやは校則も門限もない。自分の責任で何をしてもいい年齢に達した岡村ちゃんが、破るべき規則や闘うべき敵を見失うのは、ある意味で当然である。そして、敵に敢然と立ち向かうことで奇跡的な輝きを見せていた彼の美学が成立しなくなるのも、また必然だと言える。

次に、世相も変わった。『だいすき』にあるような「3週間ハネムーンのふりをして旅に出よう」という口説き文句がある種の大胆さとして受け止められていた牧歌的な時代は終りを告げ、いまや婚前*2に旅行に出かけることはありふれた光景になってしまった。そればかりか、彼が雑誌のインタビューで嘆いていたように*3、90年代に入ってつとに表面化した「ブルセラショップ」や「援助交際」などの現象によって、岡村ちゃんの「純粋な不道徳さ」が汚されてしまい、相対的に輝きを失ったことも、彼の創作欲にとっては大きな打撃になったと思う。

ということで、岡村ちゃんががんじがらめの状況から薬に逃げ道を求めたことは理解できる。もちろん犯罪は犯罪であるし、ファンだからといって身贔屓になって彼の全ての行為を肯定するものではない。

これを機会に、岡村ちゃんが苦境・困難を直視して、それを創作活動に反映させてくれればいいと思う。「不自由」を強いているのは、学校やパパやママばかりではないし、「誘惑」をもたらしてくるのは、遅番のウェイトレスや先輩のガールフレンドだけじゃないのだから。ついでに、憔悴して痩せ細る、なんてオマケがついたら、往年のファンとして泣いて喜ぶだろう、きっと(不謹慎? そう感じたらすみません)。

*1:「最初から逆境だった」というツッコミは無しで

*2:この言葉自体が死語だ

*3:確か「ミュージック・マガジン」だけど、号数は忘れた…