物に対する愛

「フェティシズム」という言葉は、最近では性的な文脈で用いられることが多いが、本来の意味は「呪物崇拝、物神崇拝」である。

つまり、物を崇拝する、物を愛する、ということだ。物を弄んで充実感を得るというのは珍しくないことだと思う。それは自動車であったり、機械式の精密時計であったり、写真機であったり、万年筆であったり。

人によっては、パソコンや携帯電話や音楽プレーヤーが対象になるという人もいるかもしれないが、そういったものは「使い捨て」の「消耗品」であって、通常は愛の対象にはなりにくい。

となると、微妙なのはデジタルカメラだ。機械式のカメラであれば、愛情を注ぐ対象に十分になりうると思う。が、いくら高価なデジタル一眼レフカメラであろうと、ライフサイクルが短くてすぐに陳腐化するデジカメは、フェティシズムの対象にはなりにくい気がする。

こんなことを書くのは、何かカメラの機材を買おうかと思うのだが、どうにも実用的なものばかり候補に浮んできて、それなりのお金を使うにしても愛着を持てなそうだからだ。

まあ道具というのは使ってナンボというものであって、本来は愛でる対象ではないのだろうけど。その一方で愛情の対象になりそうな物には、あまり実用性はなさそう。この矛盾。写真はキヤノンF-1。手に入れたとしてもこれで写真を撮ることはほとんどないだろうということも分かっているけど。