さよなら少年時代―『トイ・ストーリー3』

あの12歳の時のような友達はできない。もう二度と。
(『スタンド・バイ・ミースティーブン・キング

少年時代は突然終わり、望もうと望むまいと、僕らは大人になることを強いられる。だが、立派な大人になれるのだろうか。なっているのだろうか。それは誰にも分からない。
岡村靖幸は呟いた。「僕らは子供が育てられるような大人になれるのかなぁ」と。40代半ばの彼は、いまのところ子供を育ることはなかったが、刑期を終えて出所している。これを大人というのかどうかは分からない。
スガシカオは歌った。「あの頃の未来に 僕らは立っているのかな」と。さあね。僕らが立っているところは未来だが、あの頃の未来かどうかは分からない。
だが、誰も少年時代に留まり続けることだけはできないのだ。

アンディは大学入学目前の17歳になった。彼はウッディだけを大学の寮に持っていき、他のおもちゃを屋根裏にしまうことを決める。そこからおもちゃたちのドラマが始まる。アクションあり、サスペンスあり。まるでスパイ映画のようだ。だが、いろいろな問題が解決して、大きな障害がなくなって、おもちゃたちが元の居場所に元のままに収まっても、ウッディが大人になることが止まるわけではない。誰も別れから逃れることはできない。それが大人になるということの意味だから。

人気シリーズの三作目のジンクスをはねのけて、ピクサーはこの物語を子供にも大人にも楽しめる成長譚にすることができた。商業的にもアメリカでは大成功を収めた。傑作との呼び声も高い。だが、僕にはそこまで感情移入できる物語とは思えなかった。それは、僕がいまでもフィギュアやアニメに囲まれているせいかもしれない。だが、『魔法少女 まどか☆マギカ』に夢中になっていても、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を観ていた少年時代の僕が戻ってくるわけではない。もう12歳のような友達はできない。たとえおもちゃとお別れしていなくても、立派な大人になっていなかったとしても、少年時代は僕の前から去ったのだ。永遠に。