期待していたものとは違った”問題作”〜『仮面ライダーBLACK SUN』

「正義の味方」を描くとき、その「正義」が体制側になってしまう罠に多くの人が気付いている。

アメリカ同時多発テロ事件とテロリスト掃討の後に生み出された2008年のクリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』はその懐疑に正面から向かった作品の一つ。

では1970年台初頭の石ノ森章太郎の『仮面ライダー』ではどうだったか。

原作マンガでは、人間でも怪人でもない存在になってしまった本郷猛の孤独と不条理が強めに描かれていたり、当時の社会問題が批判的に描かれたりと、奥の深い石ノ森ワールドが繰り広げられていた。

しかしながら、テレビ版では結局“デチューン”されてしまい、「悪の組織ショッカーに立ち向かう正義のヒーロー」になっていた。

これはメインターゲットを子ども向けにして、スポンサーの意向にも配慮するとやむを得ないことだったと思う。

さて、2022年。

仮面ライダー』50周年記念作品として、東映白石和彌を監督として『仮面ライダーBLACK』を原作とする『仮面ライダーBLACK SUN』を世に送り出した。

www.kamen-rider-official.com

BLACKといえば、南光太郎と秋月伸彦。これを西島秀俊中村倫也が演じるという豪華キャスト。

悪の組織ゴルゴム、三神官、そしてビルゲニアやクジラ怪人も…ということで、BLACKの時代に描き切れなかった奥行きのある物語を、最新の映像技術で見せてくれることに期待が高まった。

Amazonプライムで全10話の配信ということで週末に一気見!というテンションで見始めたが。。。


(以下ネタバレ)


1972年と2022年を行き来する構成は、テンポが良いとは言い難く、物語が盛り上がったところで中断されてしまう感が拭えない。

そして、1972年といえばリアルには「連合赤軍によるあさま山荘事件」なのだが、劇中でも、ゴルゴムは悪の結社ではなく反体制的な運動組織として形成される。

さらに、怪人のルーツが731部隊の残党に遡るとか、それを当時の首相が主導して生物兵器の開発や闇市場への販売を行っていたとか、その首相の孫が現在の与党総裁となっていてその利権を受け継いでいるとか、「政治風刺」が強すぎると感じてしまった。

仮面ライダーの背景として政治を出すという以上に、政治批判のダシに仮面ライダーが使われているというか。

仮面ライダー50周年で「BLACK SUN対シャドウ・ムーンの宿命の対決」を期待していたファンには、あまりにノイズとなる情報が多い作品になってしまっているように思う。

西島秀俊中村倫也の「変身!」はともにかっこいいけれども、そこまで行くには全10話の終盤を待たねばならない。

首相を演じるルー大柴安倍晋三に寄せているとか、寺田農麻生太郎のモノマネ芸人になっているとか、その辺の「お遊び」はまあ許容範囲内かもしれないけれども、怪人に対するヘイトスピーチだの、ゴルゴムと首相が裏で結託しているだの、それを国連で告発するだの、首相が最後暗殺されるだのとなると、個人的には仮面ライダーの世界観の限度を超えてしまっている感じがした。

また物語の終盤、一度死んだBLACK SUNが復活してシャドウ・ムーンを破るところまでは原作通りでいいのだけれども、その後、自身が悪の「器」となりかけるところは、あまりにあまりな展開で残念すぎた。

いちばん「そうはならんやろ」と思ったのは、物語のラスト。

悪の「器」を破壊して生き残った少女が、街で子供をスカウトしてゲリラ戦に備えている場面。

南光太郎が命懸けで断ち切った連鎖をなぜ続けようとするのかと唖然。

これは「体制に飲まれたら終わり。常に戦いに備えよ」という1972年的メッセージの再生なんだろうけれども、何もそこまで1972年という年に引っ張られなくても。

「正義の味方は体制の犬じゃない!本当の正義は体制を疑い、ときに自らを懸けて戦うことだ!」ということが50周年のラストということであるとすると、それは一つの政治主張としてありうるものではあるけれども、この作品のファンに向けたキーメッセージとしては大外しかなと思える。

少なくとも、自分にとっては「観たかった50周年ライダー」とは違ったなというのが率直な感想。

見る人によって色々な見方がありうると思う。

どう感じるのか向かい合う価値がある”問題作”。