疑い深く、排他的で、利己的なこの人類〜『ドント・ルック・アップ』(2021年、アメリカ、アダム・マッケイ監督)

「宇宙から脅威が来れば、地球の人はみんな正しいことをするために団結するのにな」

そんな理想主義的なことを言う人がたまにいるのだが、人類の歴史を見ればそんなことは起きそうもないと僕は思う。

残念ながら、人は疑い深く、排他的で、利己的なものだ、と僕は思う。

新型コロナウィルスをめぐる騒動を見てますますその思いを強くしている。


さて、昨年公開された『ドント・ルック・アップ』がネトフリでも観られるようになったので鑑賞した。

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1998年の『アルマゲドン』は、小惑星が地球に衝突する危機に直面し、NASAが叡智を集結し、アメリカ大統領がリーダーシップを発揮し、国境を越えた協力で危機を乗り越え、最後には使命感の強い飛行士が高潔な自己犠牲の精神を発揮して人類を救う。

だが、そんな20世紀末の<最後の審判>のような世界観は21世紀には消えてしまい、政治的に正しい言説を戦わせる不毛な時代になったように思われる。

新型コロナウィルスの対応をめぐる中傷合戦、建前と本音の乖離、政治リーダーの求心力の喪失、科学者の権威の失墜、トップ資産家の利己的な行動、マスコミの分断を煽るセンセーショナルな報道などなど。

『ドント・ルック・アップ』は、こうした現在の環境で「もし隕石が地球に衝突することがわかったら、果たして我々はアルマゲドンのように振る舞うだろうか(いやならない)」という人類の姿を戯画的に描いた作品である。

やや誇張された人物像、ブラックユーモアを交えた皮肉、そしてエンドロール後のオチ・・・全てが面白おかしいのに、こう問いかけられているような気がする。

「ほら、人間は疑い深く、排他的で、利己的だろう?」と。

危機を乗り越えるときには、理想を叫ぶことではなく、こういう人間の特質を見つめるところから始めないと上手くはいかないだろうと感じさせられる。

ところで「上手く」とは何だろう。

この映画のラストはそこにも痛烈な批判を浴びせている。

「地球を守ろう」という主張で途上国の人々の成長や生活の質を制約する先進国の姿が重なるものだった。

「感動しました」「泣きました」という陳腐なフレーズでは全く語れない作品。