身体と魂の分裂が描き出す苦悩〜『ルル』(東京二期会)@新宿文化センター 大ホール

海外に行ったらオペラやバレエやミュージカルを観るのだが、コロナ禍で海外に行けない時間が続いている。

オペラを観に行った記録を紐解いてみたら、2019年12月のミラノ・スカラ座の『プッチーニ』が最後だった。

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去年は国内でもオペラの公演が続々と延期・中止に追い込まれたが、今年になって対策を打った上で再開され始めている。

だが、東京都が開催を予定していた『ニュルンベルクのマイスタージンガー』がコロナ陽性者が出たことで直前で中止になるなど、出演人数が多く、管楽器演奏や歌唱も伴うオペラの難しさを改めて感じずにはいられない。

そんな中、二期会の『ルル』がスケジュール延期・会場変更を経て、新宿文化センター大ホールで上演される運びとなった。

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モーツァルトプッチーニヴェルディワーグナーなどの古典的な有名どころと比べると、まずベルクの上演自体が極めてレアである。さらに未完となったこの『ルル』は、どのような解釈で、どのような演出で見せるかで、だいぶ作品のカラーが変わるもの。

今回は、演出家カロリーネ・グルーバーがかなり現代的な解釈を試みているようで、この目と耳で確かめに行かずにはいられなかった。無事の上演に感謝、である。

物語は世紀末ウィーンを思わせるかなり退廃的なもの。

かつて貧民街で暮らしていた少女ルルは、新聞社の編集長シェーン博士に拾われ、彼好みの女性として成長する。次第にルルは、妖艶な魅力を放つようになり、シェーンは彼女と関係を持つ。ルルと愛人関係を続けるシェーンだが、彼は高級官僚の娘と交際を始め、ルルを初老の医事顧問と結婚させてしまうのだ。
ある日、ルルの肖像画を描いていた画家が、彼女に魅了され、言い寄り始める。事の次第を知った夫の医事顧問は、心臓発作で死んでしまう。ルルは画家と再婚するが、ルルの汚れた過去の真実を知り、彼もまたショックで自殺する。
ルルはついに望み通り、シェーンと結婚する。しかし、男女を問わず怪しげな信奉者たちとの関係を続けるルルに、嫉妬で常軌を逸したシェーンは、ルルに拳銃を持たせて自殺を強いるが・・・。


表面だけを見れば、ルルは何人もの男性を手玉に取り、破滅に至らせる“魔性の女”であり、”ファム・ファタール”。

だが、一体それは彼女の本質なのだろうか?

彼女の魂もそのような物語を望んでいたのだろうか?

そんな問いをカロリーネ・グルーバーは観るものに突きつける。

歌って演じる”ルルの身体”のそばに、”ルルの魂”とも呼ぶべきダンサーを配置することで、彼女の”内面”を可視化する。

か弱く、無垢で、傷付きやすい姿として。

そんな”ルルの身体”と”ルルの魂”という引き裂かれた二つの存在が舞台のこの主役だが、悪女であるはずの”ルル”が魂を引き裂かれた被害者として見える。

気丈に歌っている彼女の身体と同じ空間に、絶望に打ちひしがれた彼女の魂が横たわる。

ルルを演じる冨平安希子の鬼気迫る歌唱・演技も素晴らしいが、ルルの魂を演じるダンサー中村蓉の存在感たるや。

一言も発せず、衣装を着替えもしないのに、絶望や恐怖や苦悩や決心など、その場面でのルルの内面を身体全体で表現している。

二幕最後には、この分裂したルルの身体とルルの魂が一つに統合されていくような描写も見せる。

本作では二幕のエンディングに「本来の自分を取り戻す」という希望が垣間見れた。


誰からも求められ、誰からも消費されるルル。

彼女はそんな誰にとっても”望みの女性”であろうと演じ続けているうちに、”本当の自分”を見失っていくが、最後の最後に自分を取り戻せる可能性を感じさせてくれた。

世紀末ウィーンの退廃的な雰囲気に満ちたベルクの十二音階の音楽の難曲だが、マキシム・パスカルの指揮はスムーズに楽団を導き、なんの違和感もなく物語を展開していった。

そして、舞台の上の演者だけではなく、”消費されるルル”の象徴としてマネキンを配し、また半透過スクリーンにはCGで”即物的なルル”を映し出すことで、この物語のテーマを分かりやすくし、また演出としてもとても現代的なフレーバーを加えることに成功していた。

総じて、オペラというよりもコンテンポラリーな舞台という味わい。

千秋楽は8月31日(火)のマチネ。これはお勧めしたい。

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パンフレットの解説・改題もとても充実していた。