19世紀末のイギリスは世界に帝国を拡大する裏側で近代化・工業化の「光と影」の「影」が国内を覆った時期でもある。
1888年には暗い時代の象徴とも言えるジャック・ザ・リパーの事件が起きていた。
ブラム・ストーカーが、ルーマニアを舞台にしたゴシック・ホラー小説『吸血鬼ドラキュラ』を刊行したのは1897年だった。
それから100年後。
1996年にミルウォーキー・バレエ団がこれをバレエ化すると、カルト的な人気に火がついた。
伝統的なバレエの表現を上書きするようなテーマ、衣装、物語、そして音楽。
そんな『ドラキュラ』が盛夏の東京で上演された。
元々は英国ロイヤルバレエ団プリンシパルの高田茜、平野亮一を招いての公演を予定していたが、高田が怪我のために降板。バーミンガムから平田桃子を招いた公演が目玉のキャストとなった。
僕は、新国立劇場の宝満直也、NBAの竹内碧がメインとなる千秋楽のソワレを観に行ってきた。
感染対策で一列目が空席となっていて、実質最前の上手エリアでの鑑賞。
序幕は半透明のスクリーン越しに悪夢が演じられているもので、幻想的なゴシックホラーの世界に一気に引き摺り込まれる。
赤や青を基調とした不穏な照明に、どこか居心地の悪さが続いていくような十二音階風の不協和音の音楽。
叫び声がトラックに混じっているのもかなりモダンな感じ。
衣装も古典バレエのように身体のシルエットを見せるようなものは少なめで、むしろロングのスカートやマントを翻す動きで魅せるようなもの。
そんなダークな世界の中で繰り広げられるのは、猟奇と官能と耽美。
ドラキュラを演じる宝満直也はスレンダーな体躯に、静かに射るような眼差しが印象的。
ミナを演じる竹内碧は、喜びや悲しみの表情だけではなく、不安や恐怖を見せるときの表現力が豊かで、ホラー作品のヒロインに打って付け。
どのキャストも、バレエならではの身体表現はもちろん、場面場面で切り替わる顔の表情の繊細さに深みを感じた。
第三幕まで予断を許さない展開が続いていき、最後はとてもドラマティックな展開へ。
コロナ禍で海外に行くハードルが上がった時代だが、こんな耽美的な舞台を欧米にまで行かずとも、東京にいながらに観られるとは。
パンフレットによれば、芸術監督の久保紘一の「執念」とも言える想いが身を結んだものと想像する。
古典的なバレエのフィールドにとどまることなく、このような新しい作品にも果敢に挑戦し、世に問うていくNBAバレエ団の活動から目が離せなくなりそうだ。