歌唱シーンだけが見せ場?いんだよ、それで〜『竜とそばかすの姫』(2021年、細田守監督)

宮崎駿という日本アニメのレジェンドの後継者として、”業界”が目をつけたのは細田守だった。

デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』や『時をかける少女』で、こだわりをもった世界観を示してくれた細田守に「ファミリー映画」という課題を負わせ、山下達郎というビッグネームのタイアップまでつけて公開された『サマーウォーズ』がヒットすると、細田の作品は『おおかみこどもの雨と雪』、『バケモノの子』など、夏休みの家族向け映画として制作され、そしてプロモーションされていった。

だが、個人的には、細田守というクリエーターの持ち味は、家族向けの物語とは相性が良くないと思っており、どの作品でも居心地の悪さを感じずにはいられなかった。

マニアックな同人作家が無理矢理『課題図書』向けの作品を作らされているような感じがあった。

彼のパーソナルな持ち味・志向をより強めたのが『未来のミライ』であるが、これは商業的にも前作比で失速することになってしまった。

そしてドロップされた最新作が『竜とそばかすの姫』である。

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リアルな物語はブツ切れだし、主人公以外の登場人物はみんな深みがない。

それでこそ細田守である。

彼が見せたいもの、我々が観たいものは、バーチャルの世界にある。

リアリティなんて求めるな、ということだ。

本作では『デジモン』や『サマー・ウォーズ』のようなバーチャルな仮想空間がメイン。

セカンドライフ的な電脳空間の中で、人はアカウントをもち、そこのアバターでヴァーチャルな人格を楽しむ。

こうしたリアルとバーチャルの交錯は『デジモン』『サマーウォーズ』でも見せた細田守の真骨頂。

ヒロインの女子高生・すずは電脳空間で歌姫・ベルとなり、そこに謎めいた竜(ビースト)が現れる。

<社会>や<正義>に追われ、SNSの暴力に晒されるビーストとベルの<物語>は、ディズニーの『美女と野獣』のオマージュそのものだ。

オオカミやバケモノなど人でないケモノを描かせたらこれまた天下一品の細田守

電脳空間でのケモノと美女の悲恋は、まさに細田が描きたかったものそのものであり、リアルでの設定や、モブの人間性なんかどうでもいいとばかりにここにリソースを集中する細田の愛を感じるべきである。

映画のクライマックスは中村佳穂によるすず=ベルのソロ歌唱。

このシーンは映像と楽曲のシンクロが絶妙。

斜に構えつつ映画を見てしまいがちな僕も思わず落涙。

しばらく涙が止まらなかった。

まあ、バーチャルのアバター美女も強いが、リアルの制服JKも強くて当然ではある。

この場面以外は、細田守の弱みも出ていて、主人公周りの人間関係の浅さとか、リアルでの問題の解決(できてない)とか、まあツッコミどころだらけ、穴だらけではある。

だが、その分、家族映画的な「教訓」の押し付けも少な目。いんだよ、こういうので。

ボヘミアン・ラプソディ』だって、最後のライブシーン以外は微妙だったわけで、歌唱シーンの見せ場が良ければいいという評価はアリだと思う。