表現者はお気持ち表明の時代をどう生きるのか〜『現代アートを殺さないために』(小崎哲哉)

20世紀の「進歩的」な空気が吹き飛んだのは、911テロだったかもしれない。

「ポリコレ」と「分断」の結果生まれた攻撃の矛先は「表現」に向かった。

表現の自由」を支持していたと思われたリベラル知識人は、背中から撃つように「過激なアート」を叩いた。

いまや、SNSをひらけば、誰かが別の誰かの表現を「不快だ」というお気持ちを表明して叩いている。

標的とされたアートは、そんな誰かの支援者でさらに瀕死にまで追い込まれる。

そんな2020年代、小崎哲哉が『現代アートを殺さないために』を書き下ろした。

アートで表現に携わる全ての者、あるいはアートを鑑賞する全ての者に、「政治とアート」「社会とアート」を見る視座を与えてくれるものだ。

ホワイトハウス内の調度品をめぐる大統領スタッフと美術館のやりとりから始まる本書は、政府による資金支援を通じた芸術作品のテーマの誘導、展覧会の展示作品への批判を通じた表現の自由の侵害、ポリコレという「正義」がタブーを強化して画一性を蔓延させる現実を、歯に衣を着せぬ筆で断じていく。

分断/ポリコレ/コロナの現代において、アートはいかにして政治に絡め取られずに“表現”できるのか。

著者の問題意識は先鋭的かつ明確である。

たとえ全てに賛成できないとしても、「どのような覚悟でアートと向き合うべきか」という観点で、2020年代のアートの姿を考えさせられた。

各章のタイトルも、順に「白い家→黒い羊→白いマスク→黒い病→灰色の時代」となっており、「白」と「黒」のコントラストを繰り返すモチーフをとって問題意識を掘り下げながら、最後には「灰色」を提示して、読者に対して「白とも黒ともつかない灰色の時代に、自らがどのような色を打ち出すのか」を問うているように受け止められた。

この章立ても実に芸術的といえば芸術的。

決して読みやすいという類の本ではないが、「目から鱗が落ちる」ような観点を与えてくれた。