俺たちは”パラダイス”から卒業できない〜CoCo30周年を祝う会@東京カルチャーカルチャー

CoCo30周年を祝う会に行ってきた。

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CoCoとは

秋元康は今ではすっかりエスタブリッシュメントだが、1980年半ばはトリックスターだった。

夕やけニャンニャン」の放送作家として、また「おニャン子クラブ」の作詞家として、「素人」の面白さという「飛び道具」を前面に出して、世の中の「権威」の牙城に切り込んでいった。

だが、時間の経過とともに「素人」は「素人らしさ」を失う。

同様に、世間も「素人らしさ」のインパクトに見慣れていく。

いずれにしても、トリックスターによる「飛び道具」は長くは続かない。

ということで、「おニャン子旋風」が去ってグループが解散したのは1987年9月。

それから2年半。

フジテレビのアイドル育成プロジェクト「乙女塾」を中心とした「パラダイスGo!Go!」という番組が始まる。

乙女塾は、時系列的におニャン子クラブのフォロワー・リブートであると思われがちだが、それは誤解だ。

乙女塾は、「素人」を育成し、タレント・歌手・俳優・モデルの「プロ」へと育てていくプロジェクト。

CoCoはそんな中、1989年にデビューした。

乙女塾のメンバーの中から「選抜」されたメンバー5人で構成される「正統派のアイドルグループ」として。

CoCoを作った大人たち

今日の「CoCo30周年を祝う会」では、楽曲提供に携わった作詞家・及川眠子、作曲家・都志見隆、そしてポニーキャニオン(当時)のディレクター・佐多美保がまず登壇。

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多弁でサービス精神を欠かさない及川さんの記憶を引き出すような格好でトークが進む。

以下印象に残ったところを中心に。

CoCoの楽曲について

及川「当時Wnkを手がけていたけれど、CoCoはあそこまで色気がない、まだ未熟な感じというオーダー。それで書いたのがデビュー曲の「EQUALロマンス」」
及川「「はんぶん不思議」の時は私立の女子高生と言われた。それでイメージが具体的になった」
佐多「当時 、曲名がないときに、実在の高校名をつけていた。なんとか学園、みたいな」

佐多「レコーディングは大変だった。歌が上手くないメンバーが2、3人いたので(笑)」
及川「それならまだいいよ。Winkなんか半分下手(笑)」
佐多「だから、歌割は、まず全員が全部歌い、歌えるところだけを使っていた」
佐多「「はんぶん不思議」のサビ前の「あなた意地悪」の三浦のパートが凄くて、これは使うしかないと」
都志見「サビ前のああいうフレーズは全員でユニゾンするのが一般的」
佐多「とにかく三浦の「あなた意地悪」がインパクトあった。あれがなければ普通のアルバムの中の一曲で終わっていた曲」

及川「私立高校生のイメージと言われていたが、年齢が上がっていって「ささやかな誘惑」のオーダーでは、いきなり5歳上げてと言われた。高校生が大学を飛び越して就職するみたいな(笑)」
佐多「CoCoは声域が狭かった。「Live Version」はその声域から少しはみ出ていた。でも、曲はすごく良いので使いたい。で、サビで転調するという荒技を使った」
都志見「デモと変わっていたのを知ってびっくりした」

及川「「Newsな未来」は、恋愛だけじゃなくて、たまには世の中のことを歌ってもいいんじゃないかというオーダーで、歌い出し“砂漠の国が燃えたあの夜に”と書いたらソッコー没(笑)」
佐多「後でこの歌を振り返る時に「あの頃はこうだった」というのを思い出させるような歴史的な事件を入れようと。湾岸戦争とかベルリンの壁とか」
及川「でも、叩かれたんですよ。オリコンで。「アイドルにこんなこと歌わせるな」って」

CoCoのメンバーについて

メンバーのソロ活動を回顧しつつメンバーについても話が及ぶ。

都志見「「水平線でつかまえて」の仮歌は、英語だった。歌詞がついたらクロールクロールしてで」
及川「こないだミッツ・マングローブに言われたけど、私の歌詞は「呪いのリフレイン」なんだって。繰り返すことで相手に呪いをかける」
佐多「男の子に「クロールして」っていう女の子、あれは三浦だからハマった」
及川「この曲の「たくさんの人たちとこれからも出会うけど」とか、「はんぶん不思議」の「いつかは違う幸せを選んでいても」とか、私の詞は意地悪だと言われる(笑)」

佐多「瀬能は歌が抜群に上手かった。パート割りでも、「この子はここは歌えないからここを」と最後に残ったパートを瀬能が歌うという感じ」
佐多「卒業については、彼女に何かあったというわけではなく、むしろ普通の子だった。でも、なぜかグループの中で上手くいかなくなって、事務所の判断で抜けることになった」

ここから、CoCoのCDや写真集の写真を撮っていた齋藤清貴氏も登壇。

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齋藤「5人のメンバーを均等に、全員が写っているのでは全員をかわいく撮る、これが大変だった。今と違ってフィルムだったし、修正もできないし」
齋藤「写真集のハワイロケはribbonと合同。朝からメイクして日中ずっと撮影。メンバーも大変だけど撮影する自分もひとりでハードだった(笑)」

齋藤「CDジャケットの写真は、毎回テーマカラーを決めていた。」
佐多「CoCoにはメンバーカラーはなかったので、テーマに合わせてスタイリストさんが衣装を2種類ずつくらい用意してくれていた」

齋藤清貴の登壇でトークがさらに盛り上がったところで、ハコイリ♡ムスメのライブへ。

ハコイリ♡ムスメとは

2014年に女優志望の女の子を集めて作られたアイドルグループ。

という点では、「プロの養成」を目指していた乙女塾とコンセプトが通じるところがなくもない。

現在はオリジナル曲十数曲を有するが、当初はおニャン子クラブ乙女塾のカバーのみだった。

僕がハコイリ♡ムスメのライブに多く通う理由は色々とあるけれども、何よりもCoCoやメンバーソロの楽曲を今でも「生」で楽しめるというのが大きな理由の一つ。

この「日曜はダメよ」とか。


劇団ハコイリムスメ『日曜はダメよ』(内山珠希・鉄戸美桜)

この「はんぶん不思議」とか。


ハコイリムスメ「はんぶん不思議(CoCoカバー)」MV

CoCoのライブに行くことはできなくなってしまったけれども、CoCoの楽曲をカバーするライブに行くことはできる。

いや、行かない理由がない。

そんな感じ。

だが、今日のハコイリ♡ムスメは「5年間活動してきたベテランアイドルグループ」ではなかった。

2014年に7人のメンバーで結成されたハコイリ♡ムスメだが、メンバーの卒業と加入を繰り返し、昨日、「最後のオリジナルメンバー」にして「元リーダー」であった我妻桃実が卒業したばかり。

精神的支柱でもあった彼女が抜けた翌日に、「新体制」としての初舞台。

それが、CoCoを作った大御所たちや、30年間CoCoを愛してきた熱心なファンたちの前でのステージ。

これは燃えないはずがない。

いや、そんな口で言うほど簡単なものではなく、プレッシャーも相当あるだろうと想像される。

だが、そんなプレッシャーを全く感じさせない初々しさをもってハコイリ♡ムスメのメンバーが登場。

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純白衣装の清純なイメージ、5人フォーメーションの美しいダンス、曲想に合わせたボーカルの表現力・・・

これは現代に蘇ったCoCo、とまで呼んでしまうと、熱心なCoCoのファンの人に怒られてしまうかもしれないけれども、当時のCoCoに感じていた熱い想いを蘇らせるくらいの、期待に応えるステージだった。

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新リーダー吉田万葉のMCも堂々としていて、塩野虹の泣き真似もしっかりと笑いを誘い、ハコムスの新体制にも期待が持てると思わずにはいられなかった。

あれから30年、俺たちはあの日夢みた“パラダイス”から卒業できずにここにいる。。。

(セットリスト)

1 はんぶん不思議
MC
2 乙女のリハーサル
3 シャボンのため息
MC(塩野虹 泣き真似)
4 水平線でつかまえて
5 微笑みと春のワンピース

永遠のアイドル”まきぼー”

ハコイリ♡ムスメがライブを終え、MCとのやりとりを終えて退場しようとした瞬間。

キラキラとした女性がステージに登場。

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「ハイ!46歳。まきぼーこと宮前真樹ですっ!」

うおおおおおおおおおおおおおおおお!!

サプライズゲストとして、元CoCoの宮前真樹が登場。

昨年のハコムスの生バンドライブツアーにゲストとして出演し「EQUALロマンス」を共演した関係性だが、今日はその場でカバーを勧めたソロ曲「シャボンのため息」をハコムスが披露。歴史的な再会を果たした。

宮前「アイドルファンの人って優しいですよね。わたしこの前髪を45センチ切ったんですけど、そしたらTwitterでたくさん人から「かわいい」とか言ってもらえて」
会場「かわいー!(絶叫)」
宮前「ありがとう(笑)」

ハコイリ♡ムスメが拍手に送られて退場すると、宮前真樹が登壇メンバーに加わり、トークが再開される。

司会「今のアイドルは昔のアイドルと違うところも色々とあると思いますけれども宮前さんから何かメッセージをお願いします」
宮前「そうですね。アイドルは、長い人生の中である時期しかできないもの。やってるときは大変なこともあると思う。でも、あとで振り返ると、貴重な経験をさせてもらったということばかり」
宮前「それに、アイドルをやめてからも、こうやって、今日みたいにたくさんの人が来てくれる。だから、アイドルは幸せな職業です。楽しんでほしい。CoCoも楽しかったな」

暴露話をネタにバラエティに出る元アイドルには、まきぼーの爪の垢を煎じて飲ませたい。

司会「宮前さんは今は料理研究家として・・・」
宮前「わたしの今の話はいいんです。自分で発信できるSNSもやってますから。今日はみんなでCoCoの話をしましょう!」
宮前「正直、今日のオファーを最初に頂いたときはお断りしたんですよね。でも、面白そうだし、(齋藤)清貴さんも出るっていうので来ました」
宮前「前半、理恵子とあづさの話は出たけれども、(大野)幹代ちゃんや(羽田)えりちゃんの話もしてくださいよ、佐多さん」

この辺、他のメンバーのファンも来ていることを気遣う宮前の思いが感じられる。

宮前「(乙女塾でのコース)最初は、コースがあるとは知らなかった。突然フジテレビで聞かれたから最初はなんとなく「俳優」にしたけれども、二期生が入った時に歌手コースにした」
佐多「CoCoについては、リーダーがいないグループだったけれども、今思えば、宮前さんの役割は完全にリーダーだった」
宮前「よく大人の人から「メンバーにこれ言っといて」って言われていた」
宮前「ライブのMCでも、イエーイ!とかは理恵子。ファンの人もそのほうが盛り上がる。告知とかはしっかりしたえりちゃん。私がそういうのを決めてましたね」

ここから、メンバーの想い出を語る時間へ。

佐多「瀬能あづさちゃんは、どこか影を感じさせるところがあった」
佐多「大野幹代ちゃんは五人兄弟のお姉さん。いっつも家族の話をしていて、いい家庭なんだな、と思ってた。でも年が若いのに色気を感じさせた」
佐多「ソロデビュー曲「許して」のジャケ写撮影の時にものもらいになった。当時の技術でなんとか見せるのが大変だった」

佐多「羽田恵梨香ちゃんはとにかく頑張り屋」
宮前「髪型でも。前髪とか。デビューしたころの、横の三つ編みとか。細かすぎて誰も気づかないところまでこだわりがあった」
齋藤「確かに。撮影でも、自分が片方から撮ってOKと言ったら、「まだ反対の方撮ってないですよ。こっちからはいいんですか?」って」

齋藤「(5人時代の初期のCDジャケットがスライドに映る)あ、まだ楽しかった頃の…」
宮前「最後まで楽しかったですよ!(キッパリ)」

ファンの夢を絶対に壊さないようにするアイドルの鑑。

ここで、宮前が「幹代ちゃんからの手紙を預かっている」「他の3人は自分で発信する手段があるけれども、彼女だけはないから」と、大野幹代からの手紙を代読。

大野「みなさま、CoCo30周年おめでとうございます。そして、私のことを覚えていて、気にかけてくださってありがとうございます。私は、元気です」

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手紙はシンプルなものだったけれども、大野幹代が元気だということが確認できたこと、そして、宮前との関係が続いていること、宮前がファンを気遣ってメッセージをお願いしたこと、など色々な思いが一気に駆け巡ってきて胸が熱くなった。

30年という歳月を超えて


イベント終了後、宮前は控え室でのハコムスの様子をスナップしたモノクロ写真に言葉を添えてこうTweetした。



ハコムスちゃんが可愛かった夜
あぁ、私達もこんな感じだったのかな?なんて思いながら眺めていました。

30年を一気に飛び越えて過去と現在とをつなぐような視線。

まきぼーは、アイドルを卒業後「料理」の道に進んだわけだけれども、自分のアイデアで何かを作り出して、相手を喜ばせようとするクリエイティブな姿勢というのは、一貫していて変わることがない。

むしろ、磨きがかかっている、というべきかもしれない。

まきぼーは永遠の”アイドル”。

そんな風に思った夜だった。

改めて、CoCo30周年おめでとう。

そして…

俺たちはまだ“パラダイス”から卒業できない。

いや、このままずっとパラダイスを目指し続けるのかもしれない。

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