『愛がなんだ』(今泉力哉監督)を観に行ってきた。
原作の角田光代がちょっと苦手なので先送りしてきたが、口コミで評判が広がっているのがあちこちから聞こえてきて、ようやく観に行ってきた。
(以下ネタバレあり)
と言っても、「ネタバレ」というほどのサプライズはない。
全編を覆うのは、ヒリヒリするほどのリアリティ。
岸井ゆきのや成田凌らの実力派俳優が、人間味のある人物を演じていて、日常の積み重ねさえも<ドラマ>になる。
僕自身は、もう今は「運命の人と出会う!」とか「何よりも恋愛が大事!」みたいな情熱的な若さは無くなってしまった。
けれども、若い男女が愛されるようと苦闘する姿は、「人の幸せ(を求める気持ち)を笑うな」と思わざるを得ない。
なりふり構わずに一生懸命になっている人、反対に、傷つくのが怖くてクールぶってる人を、僕は笑えるだろうか。
いや、決して滑稽だなんて笑えない。みんな一生懸命。
ただし、一生懸命になっても、誠意を見せても、報われるとは限らない。
それがリアル。
それが人間。
自分が若い頃は、「恋愛をちゃんと経験して成功してこそ一人前」みたいな恋愛至上主義的な前提が、コミックでもTVドラマでも映画でも確かに存在していた。
あのノリというか、ある種の規範みたいなものは、僕にとっては結構なプレッシャーで、とても「トレンディードラマ()」のような人間関係を築くことができない自分には、決定的に何かが欠けているような劣等感さえ覚えた。
たかが恋愛。
されど恋愛。
あの頃とは今の時代は違う。
今は、「狂おしいほど愛されたい」という自らの欲望を自覚しつつも、人間関係の微妙な間合いを図って「空気を読む」のが大変というか。
好きになった人への盲目的な思い入れや、相手を想うフリをしながらも利己的な行動や、嫌われまいとするあまりの過剰な気遣いなど。
形は違えども、どれも多かれ少なかれ自分の中で思い当たるものはあると思わされる。
主人公のテルコと相手のマモちゃんの間のそんな「神経戦」が最もヒリヒリとするわけだけれど、その二人に限らない。
ガサツに見えるすみれさんでさえも、ナカハラを傷付けたことを理解した瞬間に、謝りもせずただただ「パスタを作る」というあの微妙な空気。
この映画には、「絵に描いたようなハッピーエンド」はない。
反対に「絵に描いたような悲劇」も起きない。
それこそが、僕らの日常のようでリアル、なのかもしれない・・・
近年の日本映画の「ヒットの方程式」が、劇的な出会い、不治の病、記憶喪失、生き返り、あるいはゲームなどの手垢のついたモチーフに加えて、美男美女の売れ筋俳優で作られる中、この作品はそういう要素が少なくともなくてもヒットが生まれるということを示したと思う。
自分が「もう一度見たい」と思った場面は、テルコの部屋にマモちゃんが押しかけた夜のピロートーク。
相手の内面を探り合い、自分の内面を見つめ直すかのような二人の微妙な距離感。
あの場面を「目の演技」でモノにした岸井ゆきのと成田凌が素晴らしかった。瞳に光を入れるライティングも絶妙。
岸井ゆきのの「かわいさ」が最大限に引き出された作品だと思った。
彼女はやっぱりスクリーンで観るべきというか。
何かと「リアル、リアル」と褒められることの多い作品だけれども、現実の中に空想が混ざる演出もあった(教室や大浴場など)。
ああいう場面も、「浮いてる感じ」がなくて、主人公の内面の描写手法として説得力があると思う。
観る人を選ぶということもなく、日本映画好き、文学好きの人に広くお勧めしたい。