アベンジャーズの”総決算”〜『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019年、アメリカ)

マーベルコミックス」と「 DCコミックス」。

言わずと知られたアメコミの2大出版社。

スパイダーマン、アイアンマン、キャプテンアメリカなどを擁するマーベルと、スーパーマンバットマン、ワンダーガールなどを擁するDC。

紙媒体の時代からどこかシリアスな雰囲気を漂わせるDCの方が個人的な好みで、映画になってもクリストファー・ノーランが『ダークナイト』という傑作を2008年に世に出したのが決定だとなって「DC最高!」となっていた。

しかし、21世紀の映画シーンということで言えば、まさにその2008年が転換期だった。

マーベル原作の『アイアンマン』が公開されたのは奇しくも『ダークナイト』と同じ2008年。

「実業家が最新のテクノロジー武装して悪に立ち向かうヒーローになる」という設定は、アイアンマンとバットマンで共通しているのに、両者の味わいはまるで異なる。

シリアス一辺倒で息苦しさをも感じさせる『ダークナイト』に対して、軽妙なジョークを挟みながら緩急を付けたドラマを見せる『アイアンマン』。

このテイストの違いは、主演のクリスチャン・ベールロバート・ダウニー・Jrの持ち味の違いもあるのかもしれないが、それ以上に「世界観」の違いによるところが大きいだろう。

マーベルの複数のヒーローが共闘する『アベンジャーズ』(2012年)では、ヒーローたちの掛け合いがどこかユーモアを持っていて、人間味さえ感じさせるものになっている。その雰囲気がこの作品をヒット作に育てたと言っても過言ではない。

マーベルヒーローの共闘映画の成功に追従するかのように、DC陣営も『バットマン vs スーパーマンジャスティスの誕生』を2016年に出したが、ほぼシリアス一辺倒な演出はエンタテインメントとは別の方向に行ってしまった。個人的には「正義とは何か」を思索的に問いかけるような作品は決して嫌いではないが、商業的な映画としては決して裾野が広がるものではないこともまた事実である。


ということで、もはや「成功が約束された」アベンジャーズ・シリーズ。

今や、この調子ならいくらでも続編やスピンオフ作品が生み出せそうな「ドル箱」に育っている。

ハリーポッター」シリーズが終わり、「スターウォーズ」の後期三部作が微妙な展開になってきた今、マスの求める<大いなる物語>に応えることのできるフォーマットとしては、最強になった感がある。

ちょうど一年前に『アベンジャーズ/インフィニティー・ウォー』で、宇宙最強の悪役サノスが登場し、世界が危機に陥いるというエンディングで幕を閉じてから、僕らは心の中でずっと正義によるリベンジを待ち望んできた。

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そして、待望の完結編がこの『アベンジャーズ/エンドゲーム』である。

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(以下は、『アベンジャーズ/エンドゲーム』のネタバレがあるので注意)。



前作で、宇宙のインフィニティ・ストーンを全て集め、神にも匹敵する力を得たサノスは、「バランスを保つ」ために、地球の人類を半分に減らした。アベンジャーズのメンバーも犠牲になった。

今作では、残されたヒーローたちがサノスの居所を探すところから始まるが、目的を達成したサノス自身は既にストーンを破壊していて、「不可逆的」な絶望の淵に落とされていた。

ここから、まさかの時間を遡る展開。

能書きとしては「量子」とか「メビウスの輪」とか出てくるが、頭脳とテクノロジーと試行錯誤を重ねに重ねて、限定的に過去に戻る力を得て、歴史の修正を図るヒーローたち。

そこで、それぞれが自分の生い立ちを見つめ直したり、家族と再会したり(ドラえもんのび太がタイムマシンでおばあちゃんに会いに行く回を彷彿とさせる展開も)、過去の自分の限界と向き合ったり・・・

「どうせ前作でサノフィが激変させた世界を回復する物語で、消えたヒーローも復活するパワープレイ、大味な大団円だろう」と思ったが、さにあらず。「ヒーローの生き様」「人生の意味」を考えさせられる場面が散りばめられていた。


特に、アベンジャーズのツートップとも言うべきアイアンマンとキャプテン・アメリカ

アイアンマンの方は「大切な人を守るために自分の生命を捧げる」と言うアメリカ映画のヒーローの王道とも言うべき活躍を見せ、キャプテン・アメリカの方は「大義に身を捧げ続けるだけではなく自分自身の人生を生きる」という意外な選択を見せた。


利己的に振舞ってきたアイアンマンが最後の最後に利他的な行動で世界を救い、愛国心を発露し続けてきたキャプテン・アメリカが物語の終焉で個人の生活を優先する。

一見真逆とも言える選択だが、考えてみれば、人間というものはそのような多様性を抱えるものではなかっただろうか。

ヒーローといえども、自らのキャタクターやパターナリズムの中に埋没し尽くす必要はないのだ。

こうして、アベンジャーズの<物語>は一つの総決算を迎えた。

だが、この総決算は、新しい歴史の始まりにもなるだろう。

ロバート・ダウニー・Jrにとっても、クリス・エヴァンスにとっても、本作は「当たり役」となったわけだが、このイメージにとらわれ続けることは、俳優人生にとってもプラスばかりではないのだから。


キャプテン・アメリカの方は、自らがアベンジャーズから身を引くにあたって、トレードマークとも言えるシールドを同僚に託す。その人物が黒人というのも今のハリウッドの「ダイバーシティ」を強く意識されるものであった。

アメリカの大統領も既に黒人が登場している中で、キャプテン・アメリカが白人男性に限定されるというのは「差別」だと糾弾される可能性がある。

そういう点でも、新しい時代の到来を予感させられるエンディングであった。

おまけ。

劇場のロビーにあった実物大フィギュア、かっこよかったな。

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