青春論あるいはアイドルネッサンスの解散

親しかった姪の一人が二十一の年に自殺したとき、美しいうちに死んでくれて良かったような気がした。一見清楚な娘であったが、壊れそうな危なさがあり真逆様に地獄へ堕ちる不安を感じさせるところがあって、その一生を正視するに堪えないような気がしていたからであった。
坂口安吾堕落論」)

2018年2月24日、アイドルネッサンスが解散した。

僕はそのラストライブの光景を、カナダのトロントのホテルの部屋からSHOWROOMで観ていた。

視聴者は一万を超え、二万を超え、最終的には二万五千を超えた。

日本武道館を複数回埋められるほどの視聴者数。

アイドルネッサンスの最後のライブが多くの人の関心を集めるのは僕には必然のように思われた。

2014年から2018年、アイドルネッサンスの活動期間はわずか4年弱。

アメリカの映画界で「青春」の象徴ともなっているジェームズ・ディーンが俳優として活動していた期間とほぼ同じ。

彼が突然の死により伝説となり、その存在を永遠のものとしたように、後世になれば、アイドルネッサンスの活動と突然の解散は、同じような残像を持って多くの人の心に刻まれるかもしれない。

彼女たちは、みずみずしいつぼみとして僕らの前に姿を現し、美しくも力強い花を咲かせ、そして惜しまれながら散っていった。

それは春の桜のようでもあり、しばしば桜に象徴されるような青春時代のようでもあり、あるいは限りある人の生そのもののようだった。

甘い時間も、辛い時間も、心が触れ合う喜びも、離れていく悲しみも、全てがそこにあった。



そんな「全て」を表現するために、少女たちは青春を捧げ、身を削るように音楽に向かい合った。

アイドルネッサンスのステージは、音楽の快楽に満ちていると同時に、どこか求道者のような険しさを感じさせる面があったのは、そのせいかもしれない。

イムリミットのある中で区間新記録を更新することを求めるような、あるいは、地球の重力の檻から脱出するための、宇宙速度を求めるような、ストイックな雰囲気が常にあった。

丸刈り高校野球部員がひたすら甲子園で優勝するのを目指すのと同じく、純白の衣装のアイドルネッサンスは「ブレイクスルー」を目指した。

結局、その夢は叶わなかった。

しかし、その活動には大いに意味があった。

自らの青春を捧げたメンバーの「名曲ルネッサンス」の活動は、見るものの多くを感動させた。もしかしたら、「青春時代を呼び起こさせた」と言えるかもしれない。

AKIBAカルチャーズ劇場の新人公演での優勝、定期公演のソールドアウト、T-Paletteレーベルへの所属、メンバーの卒業と新メンバーの追加、バンドセットワンマン、オリジナル曲のリリース・・・

アイドルネッサンスの活動には常に<挑戦>があり、次から次へと<物語>が生まれていった。

その連続であった、といっても過言ではない。

自らの青春時代にそのようなドラマを持っていない僕にとっては、常に眩しく映っていた。

今が自分の青春だというようなことを僕はまったく自覚した覚えがなくて過してしまった。いつの時が僕の青春であったか。どこにも区切りが見当らぬ。老成せざる者の愚行が青春のしるしだと言うならば、僕は今も尚なお青春、恐らく七十になっても青春ではないかと思い、こういう内省というものは決して気持のいいものではない。気負って言えば、文学の精神は永遠に青春であるべきものだ、と力みかえってみたくなるが、文学文学と念仏のように唸うなったところで我が身の愚かさが帳消しになるものでもない。生れて三十七年、のんべんだらりとどこにも区切りが見当らぬとは、ひどく悲しい。生れて七十年、どこにも区切りが見当らぬ、となっては、之これは又助からぬ気持であろう。
坂口安吾「青春論」)

坂口安吾の言葉を借りれば、青春を全うしなかった僕のような存在が抱える「助からぬ気持」を救ってくれる存在でもあった。


アイドルネッサンスは青春を全うし、そして青春を終えていった。

もちろん、メンバーはまだ若く、それぞれの道で違った「青春」を続けていくことになるだろう。

僕らは、どこかで全く違う形でそんなメンバーからまた別の「救い」をもらうかもしれない。

だが、それはまた別の話。

今は、アイドルネッサンスという存在が捧げた青春に感謝し、その活動を心から肯定したい。

ありがとうアイドルネッサンス。ありがとうテリー。

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